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田代まさし氏と親鸞の「悪人正機説」

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末恒例?の(誰も期待していない)エモブロですが、このブログにしてはほぼ初めて時事ネタに挑戦してみたいと思います。田代まさし氏が薬物の不法所持で逮捕されましたが、氏の言動について鎌倉仏教の観点から見てみたいと思います(もはや意味不明なイントロ)。

田代まさし氏にみる「弱さ」の自覚

今年の7月、NHK Eテレの「バリバラ」で、「教えて★マーシー先生」の回をたまたま見まして、薬物依存症についての壮絶な実体験を語っていて面白かったんですよね(氏がテレビに出ることには不快な視聴者もいたことでしょうけど)。

覚えている限りで氏は「まだ依存症は完治していない。途上である」ということや「先のことを考えず、今日一日を薬物なしで過ごす」ことや、「ダルクのような『何を言っても何をしても見捨てられない場』があることが回復を後押しする」と話していたことが印象に残っています。僕の見た限りでは、氏は薬物に手を出した自分を正当化することなく、自分の弱さを認めながらも回復を目指しているという印象でした。

僕も子どもが生まれた後の一時期、配偶者様や子どもに無視や暴言といった精神的DVをしていると気づいたことがあります。そこでDV加害者のためのワークショップ(ダルクやアルコール・アノニマスのようなワークショップ)に通ったこともあるんですね。DVや虐待もある意味では「暴力依存症」であり、止めたいと思っていても止められないという側面があります。そこから回復するためには、やはり「自分よりも弱いものに暴力を振るうことで自分の優越を確認したくなる」という自分の弱さに向かい合わなければならないのです。

「弱さ」の自覚と関連する親鸞上人の教え

田代まさし氏が再逮捕されたというニュースを聞いて僕が思い出したのが、親鸞上人の「悪人正機説」です。また突拍子もない飛躍だなあ……と自分でも思うのですが、思いついてしまったものはしょうがないのです?

悪人正機説とは何か?

私たちは中学生だか高校生の頃に、日本史の授業で「悪人正機説」を習っていますが、内容はただ漠然と「悪人も救われる」という程度の認識が多いでしょう(僕だけですかね?)。改めて調べてみると、要は「自分が悪人だと自覚した人ほど、仏様に優先的に救ってもらえる」ということなんだそうです。

善人じゃなく、悪人が優先なの?逆じゃないの?と思って当然でしょうね。ここでいう「善人」とは、自力作善の人のことであり「自分の知識や努力だけで人生をなんとかできると思ってる人」だと思ってもらえたらいいでしょう。この善人に対して、「も~無理!俺、煩悩まみれだし、罪深いし、俺最悪!助けて!!」と自覚し、深く悩み、助けを求めている者が、親鸞上人のいう「悪人」です(かなり自己流の解釈です)。

親鸞上人は実は、人は全て(親鸞自身も含めて)、仏様から見ると「悪人」であると言っています。仏様の前では「善人」なんていない。「善人」だと思っている人は、自分はどうしようもないダメな人間であるという真実の姿を知らないのだ、と。阿弥陀仏は誰でも救ってくれるありがたい仏様です。そんな真実の姿をしらない「自称善人」でさえも救ってくれる。だったら、自分を思い悩み、助けを求める「悪人」こそ、仏様に優先的に救われるのだそうです。

田代まさし氏は紛れもなく「悪人」である

ここで田代まさし氏に話を戻したいと思います。「バリバラ」を見る限り氏は、悪い行動をとっている自分の弱さを自覚しています。それを公共の電波で告白までしています。これは勇気のいることだと思います。悪人正機説的に言うと、自分はダメ人間だと自覚している時点で、田代まさし氏は優先的に救われる「悪人」と言えるでしょう。

反対に「俺は覚せい剤にもアルコールにも飲まれないし、DVなんて絶対にやらないぜ。だって意思が強いからな。依存症になるヤツらは意志が弱いんだ。」というのが『善人』を名乗る人でしょうかね。

ところで、田代まさし氏がスタッフを務めるダルクは、薬物依存症の人たちのための自助グループです。依存症の自助グループのなかで採用されている「12ステップ」というプログラムの最初の段階では「自分のコントロールではどうにもならなくなったことを認める」というプロセスがあるそうです。意志をもって能動的に自分の人生をコントロールするというこれまでのライフスタイルから下りることを、最初に宣言するのだそうです。

依存症の回復プログラムも「わかっちゃいるけどどうしてもやめられない自分」を認めることから始まっているわけですよ。つまり「悪人」であると認めることが、依存症回復の第一であるんですよね。親鸞上人が「悪人であることを自覚した人から救われる」と指摘していることは、奇しくも依存症回復プログラムにも適用されているとも言えます。まあ親鸞上人が、依存症回復のセオリーまでも見通していた……とは言いませんけどね。

上人がことさら「悪人であることを認める」ことを強調したのは、やっぱりそれが難しいことだし、その認識に立たなければ自分を変えることなどできないと考えていたからなんだろうと思います。自分が弱く、煩悩まみれであって、助けが必要だと自覚する難しさは、親鸞上人の時代も今も変わらないのかもしれません。しかし「悪人」だと自覚して回復を歩み始めた人が、世間から非難されるのではなく救われる世の中――悪人正機説の社会――であってほしいと願いたくなります。

  • B!

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