おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
これまで、深江~深泥までの旧西国浜街道探索をしましたが、今日はその続きです(誰も期待していない?)。元町から岩屋の間、市街地化された旧街道筋を紹介します。
前回までのあらすじ
初回は、旧西国浜街道の深江~青木の区間を探索しました。
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【当社のご近所紹介】旧西国浜街道(深江~青木)を歩く
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その後、青木から味泥までを探索。
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【当社のご近所紹介】旧西国浜街道(青木~味泥)を歩く
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元町~岩屋間の旧西国浜街道について
神戸市の中心市街地に当たる部分ですから、旧街道の面影を残すところはほとんどありません。まずはルートを確認しましょう。この区間のルートは、JR三ノ宮駅近くにある浜街道の案内板が詳しいです。
現代の地図にマッピングします。ピンクの線が西国街道(本街道)で、赤線が旧西国浜街道だと思われます。赤線にも点線と実線の部分があります。本来の(江戸時代からある)西国浜海道は点線だと思われるのですが、明治になって「大阪街道」と呼ばれるバイパス?のような道ができたようです。これは推測ですが、神戸が開港し、人やモノの流れが増えたため、旧街道ではまかないきれない交通量をさばくために、新しい道路が作られたのではないかと思います。
バイパスに相当する「大阪街道」の存在を示す資料は下記のとおりです。明治13年(1880年)の「兵神市街之図」には、「大阪街道」と書いていますね。
今回の調査では、旧来の(江戸時代からあると思われる)西国浜海道を探索しました。
元町商店街から三宮センター街(本街道部分)
まずは元町商店街の東側入口(大丸前)からスタートです。余り知られていませんが、この元町商店街自体が旧西国街道(本街道)なのです。
商店街の向きに沿って東へ進むと三宮神社があります。今の神戸市中心部「三宮」エリアの名称のもととなっている神社ですね。
三宮神社は日本の歴史でとても重要な「神戸事件」が起きたところとして有名です。鳥羽・伏見の戦いの直後の大混乱の最中、政権がいよいよ明治新政府に移ったところで、ここで外国人殺傷事件が起きました。明治新政府にとって初めての外交問題でした。新政府が日本の政権を担う能力があるかどうかが内外から試された事件であったと言えるでしょう。
神戸朝日ビルディングの前で、西国街道は北進します。赤い鳥居は生田神社の鳥居ですが、この参道?が西国街道だったのです。
そのまま北側(山側)に進むと、三宮センター街に出ます。ここで本街道と浜街道が別れていたようです。本街道はそのまま生田神社方面へ。浜街道は三宮センター街にそって東へ向かいます。
ここ、ちょうどセンタープラザと東館と西館の境のところなんですね。街道が東館と西館を分ける境目なんですね。
三宮(フラワーロード)から春日野
センター街をまっすぐに東へ向かうと、フラワーロードに突き当たります。ここは今でこそ道路になっていますが、昔は河川(生田川)でした。神戸阪急とロフトの間の道が、西国浜海道だと思われます。
15分ほど歩くと、新生田川に突き当たります。生田川は、加納宗七の手によって、明治4年にここに付け替えられました。
ここからさらに10分ほど東へ行くと、大阪街道との合流(分岐)地点があります。向かいに見えるのは専称寺というお寺ですが、お寺があることが街道っぽさを醸し出していますね。
大阪街道との合流地点と思われるところを、反対のアングルから撮影しました。今ならば直角の四つ角に整備するのでしょうが、ここの交差点は湾曲しています。
東に進むと2号線のバイパスに突き当たります。
この突き当たりの場所は、反対側(西側)を向いたほうが街道っぽさが感じられますね。
同じ道を、バイパスの反対側の歩道橋の上から撮影してみました。大きな道路で街道が分断されたのでしょうね。
春日野から岩屋
このバイパスの東側から、浜街道だと思われる部分を見るとこんな感じです。ちょうど今でいうHAT神戸のあたりですね。
阪神高速3号線の高架の下を浜街道は通っています。国道2号線からも外れているため、交通量はほとんどありません。さみしいですね。
このまま阪神高速3号線にそって、浜街道は東へ続きます。このまま西郷川河口公園に突き当り、いったん街道は途切れますが、摩耶ランプのあたりからは道が現存しています。