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「やってはいけない」ことを理解するために、やってその結果を経験する

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

僕はかつて意図的に「怒る自分」になってみて、会社の目上の人に攻撃的に振る舞ったことがありました。それは「怒らない」自分になるためのトレーニングだったのです。矛盾してますよね?でも僕には筋が通ったことだったのです。

「幸福が金で買えないことは、金持ちにならないとわからない

この話を書こうと思ったのは、先日、下記のようなツイートを目にしました。出典がわからないので、コレが本当に水木しげるの言葉なのかどうかは定かでないのですが、言っている内容が共感できるものだったので取り上げてみました?

この世の中は「相対的」である

なぜこの言葉に共感するかというと、基本的にこの世の中は「相対的」であると僕は思っているからです。先程のツイートを例にあげると「金がありすぎて困る」という状態を経験しないと、「幸福には金などいらない」ということを心底から理解することができない、ということです。逆説的とも言えますよね。

これは「お金と幸福」に限った話ではありません。寒いということを理解するには、暑いということを経験する必要があるでしょうし、自由が本当に価値あるものだということを理解するには、縛られた生活を過ごす必要があるでしょう。比べるための基準がないと、その「モノ」「コト」の本当の意味はわからないのだと思います。

「怒らない自分」になるために、意図的に「怒る自分」になってみる

「この世は相対的だ」と思っている僕はかつて、意図的に「怒る自分」になってみたことがありました。

「怒り」って、あんまり良い感情扱いされませんよね。怒りを発出しない人のほうがよい人間だと一般的には思われています(僕もそれに賛同します)。しかし「怒らない」自分になるのって結構難しいんですよね。理不尽なことがあってもニコニコと笑っているのは僕には困難です。それでも「怒らない」ことを自分に課して、怒りの感情にフタをしてしまうと、思わぬところでいびつな形で怒りが現れてくることがあります。僕の場合は、何かを我慢して過ごすとストレスがたまり、自分より立場の弱い人に「怒り」の矛先が向くようになるんですよ。弱い人を攻撃するって卑劣ですよね。その度に自己嫌悪して「怒らない自分」になろうとするけれども、「怒り」は自然に湧いて出てくるので、理性で抑えることなどできず、さらに弱い人に矛先が向くという悪循環に陥るんです。

これじゃ無限スパイラルだなと気づいた僕は、逆療法として、一度徹底的に怒ってみようと思ったのです。

ただし意図的に怒ることが自分より立場の弱い人に向いてしまうのは意味がないので、あえて目上の人(それでいて逆上して反対に殺される可能性が低い人。例えば会社の上司)を狙い撃ちして、打算的に怒りを発するようにしたんですよ?

目上の人に怒りを向けると、当然反撃がくる。でもそこからが肝心

気がついたことなんですが、目上の人に怒りを向けると反撃されるんですよね? 「何言ってるんだ、当たり前だろバカ」と思われるかもしれませんが、僕は目上の人には逆らったことのない「いい子ちゃん」として、ずっといつもニコニコしていて、楽しい話して、前向きで、従順なキャラとして40数年間生きてきたので、本当に反撃されるということが実感としてわからなかったんですよ。

僕が怒りを向けるようになると、「協調性がない」「扱いづらい」「周囲に気を使わせる」等々、陰でいろいろ言われるようになり、仕事も干されてきます。そうなるように、こっちが行動してるんだから当然ですけどね。で、案の定、会社では鼻つまみ者扱いされます。しかしここからが肝心なところです。会社の中で鼻つまみ者扱いされ始めると、自分のなかで

「以前のように、なにがあっても怒らない従順な自分でいたいのか?」

「いやそれとも、鼻つまみ者扱いされてもいいから、自分の気持ちに正直に生きたいのか?」

「そもそも従順な自分と、鼻つまみ者の自分とを、両立できないのか?」

ということを考え始めるんですよ。もちろんすぐには答えは出ないんですけどね。答えは1週間後に出るかもしれないし、1年後かもしれないし、もしかして永遠に出ないかもしれない。しかし自分の取った行動は周囲に影響を及ぼし、必ず問題提起として自分に跳ね返ります。この跳ね返ってきたものを真摯に受け止め、向かい合うというプロセスを通じてでしか「怒る自分」に歯止めをかけることができないんじゃないかと思います。

「怒ってはいけない」を心底から理解するには、「怒り」によって起きた結果を噛みしめるない

そりゃあ僕も「やたらめったに怒りを撒き散らかさない」っていうのが、一般的には正しいとされるって知っていますよ。知ってるからこそ、これまで何十年も、そう演じてきたわけですね。でも従順な生き方をしてきたにも関わらず、従順な生き方から生じたストレスに対し、「弱いものをはけ口にする」卑劣さを、僕は自分の中に飼っていたのです。

だから「怒ってはいけない」ということを、心底から理解するには、不機嫌で、攻撃的で、批判的に振る舞うと周囲にどういう影響をおよぼすかということを経験しなければ、理解できないのだろうなと思うわけです。理屈ではわかってても、実感を伴った理解ではないので、「相対化」のための行動を起こすことによって、「怒ってはいけない」という常識は、はじめて「自分のもの」になるんじゃないでしょうかね。少なくともアホでポンコツな僕は、こういう回りくどいことをしないと腑に落ちませんでした。

まあこれは劇薬なので、他の人にはお勧めしませんし、法に触れることなどは問答無用でやっちゃダメなことですけどね。

劇薬のおかげか、怒りを解放できる自分を確認できてスッキリしたのか、今では怒りを以前よりもずっとコントロールしやすくなったという実感があります。実験台にされた当時の上司には申し訳ないと思いますが……(実はあまり思ってませんが?)

  • B!

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