おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
先日、取引先の人から「今村さんはなんで診断士の資格を取ったんですか?」と訊かれました。めったにない唐突な質問にビビりましたが、その取引先の人も診断士の勉強を頑張っているのだそうです。でも僕の場合、ダメな自分を底上げするためにやってたんですよね。
自分に自信をつけたいから資格を取りたいという取引先
そもそも診断士という資格は、これがあるから将来が安泰だとかいう資格ではありません?(もはや現代にはそういう資格はほとんどないのかもしれませんが)。なので、僕も反対に、なぜこの資格を取ろうとしているのかと取引先の人に尋ねてみると、
- 自分には何も得意とするものがない
- このまま何もなく歳をとっていくことが嫌だ
- 資格があれば仕事にも箔がつく
- 資格を取れば、自分にも自信がつく
ということでした。
あちゃ~(;^ω^) こりゃ完全に昔の僕だわ?
ダメな自分を底上げするために資格勉強に励む僕
僕も完全にこういう思考で、資格取得を目指していました。簡単に言うと、資格を取ればダメな自分の底上げが楽にできるのではないか、と思ったわけでして……。そりゃ建前では「世の中小企業のためになりたい」なんてカッコつけて言うわけですけど、本音はダメな自分の底上げでしたからね。
しかし実際はかなりつらい勉強生活を送ることになりました。当時受験校に通っていた僕は、他人のことばかり気になっていたんですよ。このクラスで落ちこぼれたくない、成績のいい人に追い付きたい、誰かに追い抜かれたくないなどと、常に自分の立ち位置を図るものさしは他人にありました。
だから受験最初の年、不合格になった時はとてもつらかったんですよ。僕はあの人に負けた。僕はあの人に勝てなかった。こうなりたくないと思っていた落ちこぼれの人と同じになってしまったという気持ちで、かなりの自己嫌悪でしたからね……? 他人との比較でしか自分の価値を測れなかった自分には、不合格という事実はかなり受け止めるのが重かった記憶があります。
合格をして自信はついたのか。それは否!
その翌年、試験には合格しました。そしてその後、僕は自信に満ち溢れた人生を送れるようになった……メデタシメデタシ……ということには残念ながら一切なりませんでした。なぜなら、合格はしたものの、勉強が足りない(理解がまだ浅い)ということは自分自身が一番よくわかっていましたし、僕と同じように合格をした成績の良かったあの人と比べて、自分はまだまだ至らないという自覚があったからです。
資格がとれたことは確かにうれしかったんですよ。しかしそのうれしさというのはうたかたの夢のように一瞬にして消えていき、すぐさま「このままじゃ自分はだめだ」という、自分へのダメ出し作業が再開されたのです(ねじ曲がった性格ですみません?)
資格には独特の怖さのようなものがあると僕は思っていて、点数や合否という形で結果が見える化されているので、他人と自分の比較が容易にできます。もちろん、それが勉強をするモチベーションになることは否定はしません。しかし、比較可能な物差しがあるということは、自分のダメさ加減も他人との比較の中で浮き彫りになるということでもあるんですよね。
物差しを他人に置くのはつらい
繰り返しになりますけど、僕は資格勉強をしているときは他人のことにしか目が向きませんでした。勉強した内容を血肉にするというよりも、負けたくない、勝ちたい、資格を取って「すごい!」と言われて承認欲求を満たしたいと、常に物差しを他人に置いていた訳です。そんな勉強が楽しいわけはないですね。
ダメな自分を底上げするために資格をとったのに、底上げができるどころか、そこの浅さを思い知る結果になったのですから、世話ねえな、という感想しかありませんね? いやあ、冷静に考えると難しい資格を取ればダメな自分が変わるなんてことはないんですよ。受験の時だって同じでしたもん。志望校に入れたからといって、バラ色の人生を送れるなんてことはなかったわけですからね。そんな経験から学んでいたにも関わらず、オッサンになってもまだ試験でダメな自分の底上げをしようとしていたのですから、アホとしか言いようがありません。
まあ自信はつきませんでしたが、資格で装飾することは自信には直結しないと学んだだけでもめっけもんですかね。回り道しちゃいましたけど。
そんな昔話を、くだんの取引先の方との話で思い出したという次第です。
その方と別れたあと、こうつぶやきながら家路につきました。
「資格のようなものがなくても、自分は自分で素晴らしいんだよ」と。