おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
『麒麟がくる』といえば明智光秀。明智光秀といえば織田信長。織田信長といえば比叡山焼き討ち。ということで、春の三連休に比叡山に登ってきました?JR比叡山坂本駅から京都(修学院)まで、約12kmを4時間かけて歩きました。
ルートはこんな感じ
明智光秀と比叡山
比叡山焼き討ちの後、織田信長は明智光秀に近江国滋賀郡が与えました。明智光秀はそこに坂本城を築きます。京と比叡山の抑えとして築城した、と言われています。明智光秀は比叡山焼き討ち(1571年)にも大きく関与しています。焼き討ちの準備から戦後処理までを任されたようですね。光秀が坂本に知行を賜り、城を築く許可を得たのは、比叡山焼き討ちの論功行賞の結果なのかもしれません。
そういうわけで、比叡山に登ってきました?
結構急な登り。本当にここを攻めたのか?
坂本から比叡山(根本中堂)に至るルートは本坂(表参道)なのですが、これが結構キツいんですよ、坂道が。例えばこんな感じです。
山科言継の『言継卿記』などの資料によると、信長による比叡山焼き討ちで3,000名ほどが殺害されたという記述があります。女性や子供も含むということなので、純粋な戦闘力が3,000名とは言わないでしょうけど、それだけの人数が、これほど急な山(標高も800メートル以上)に立て籠もっているとすれば、そう簡単には落ちないだろうという印象です。
そう思い(後で調べてみると)、どうも比叡山では焼き討ちの痕跡があまり見つかっておらず、最近の研究では、比叡山焼き討ちの主戦場は隣の八王子山(日吉神社)あたりではないかという説があるようです(しかも山科言継の日記は誇張ではないかという説も)。その説に納得できますよ。こんな山を簡単に攻め落とせないでしょうしね。
根本中堂は改装中。それにしても人が少ない
坂本から1.5時間程度で国宝根本中堂につきます。早朝ということもありますが(午前9時)、人がすくないんですよ。コロナの影響かなあ。
改装中の根本中堂は足場が組まれて改装中です。改装はまだあと6年近く続くようです。それにしてもこのアングルで寺院の建造物が見られるのはレアですよね。
寺院を跡にして最高位で
寺院のあるエリアを跡にして、比叡山の最高位843mを目指します。その前に鐘を一突き。
阿弥陀堂のあたりも人はまばら。ほとんど貸切状態の比叡山です。
延暦寺から歩くこと30分強で、最高位(大比叡)に到達します。埋もれてますが、一等三角点の柱石があります。
疲れた顔です……。
下山道。修学院へ
そして京都側へ降りていきます。写真はロープウェイとケーブルカーの乗り継ぎ点のあたりから見た京都市内です。天気がいいので、大阪のビル群までよく見えました?
京都側のルートは結構険しいルートです。急勾配なのもありますが、2018年の台風21号の被害なのか、倒木がいたるところにありました(しかも圧倒されるレベル)。台風災害って怖いですね。こんな大量の倒木、六甲山でも見たことがないなあ。
そして頃合いの良い時間だったのか、このあたりの時間から多くの登山客を見ることができました。
最高位から2時間程度で、叡電修学院駅に到達です。比叡山ってきれいな形をしてますね。