おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
僕は子供が生まれた頃、うつのような症状になりました(診断を受けた訳ではない)。辛かったのですが、病むことには何かしらの意味はあったように感じます。僕にとっては「自分の人生に対する過大な要求が減った」ことにありました。
ヨロイをまとわなければ生きていけない
子供が生まれるまでの30数年間、僕は「周囲の期待に応える人間でないと価値がない」と思い込んでいましたし、そのためにはヨロイをまとわなければ生きていけないと思っていたんですよ。図にするとこんなイメージですかね。
いやまあ、「周囲の期待」言っても、別に誰かから具体的に「こうあるべき」という期待をかけられた訳ではないのですが、周囲から「ダメなヤツだな」と言われるのが怖くて、先回りして「ヨロイ」をまとっていたんでしょうね。「世間体」に勝手に屈していた、と言ってもいいでしょうかね。
で、この「ヨロイをまとう」ためには、寝食を惜しんでいろいろやったわけですよ。特に20~30代はこれでもか!というくらい自己啓発しまくったこともありましたね。
でもこれだけやっても、自分自身は、
「まだ足りない」
「まだ期待を満たせない」
という思いで、ちっとも幸せにはなれなかったんですよ。
そうすると「もっとヨロイをまとわなきゃ」と思い、どんどん自分の中でも要求が上がってくるわけですよ。資格も難関の国家資格じゃなきゃダメだと思うようにもなりましたし、もっと高学歴じゃないとダメだと言う思いから、大学院にも行きました。
高くなった要求は当然満たすことが難しくなるし、満たすことが難しければ、自己嫌悪や劣等感につながります?
そんな中、子供が生まれました。僕は生まれた家庭が複雑であったこともあり、「夫(父親)としてこうあるべき」という思いが強かったんですよね。「理想の夫(父親)」になろうと闇雲に頑張ってたんですが、育児って本当に大変です。乳幼児といえども意思を持った他人し、配偶者様との関係も一変します。うまくいかないことが積み重なって、とうとう僕のキャパを超えてしまったんでしょうね?
自分に過大な要求をしていたことに気付く
精神的なキャパを超えるって本当にヤバいんですよ。誰かと一緒にいても自分は一人だ、という気持ちに襲われて、涙が止まらなくなったりするんですよね。
当然、何かをしようという意欲もなくなるので、ボケーッとするわけですけど、そういう時に
「ああ、僕って無理してたんだなあ」
と気づいたきっかけがあったんですね。
そのきっかけとは、比較的安全が約束されている場で、あえて「嫌です。やりたくありません」と言う練習をしたことです。誰かの期待に応えない、ということを意図的にやってみたわけですけど、期待に応えなくても特に何も起きないんですよ。もちろん、僕のあずかり知らぬところで、周囲の僕に対する評価は下がっているのでしょうけど、少なくとも自分自身は自分の価値が低下しているような気がしなかったんですよね(このあたりは言語化が難しいですが)。
なんだ。頑張らなくても生きられるんやん、って。
うつのような症状になったおかげとまでは言わないですが、この経験は、うつにならなければ味わえなかったことだと思います。他人の期待に応えられる自分でいなければ、自分には価値がないって思いこんでいたのが一変したわけですからね。
渦中の人には届かないだろうけど、病みながら生きる意味は確実にある
僕もうつのような症状の渦中にいるときは、すべてが灰色で絶望的に見えていたので、どこの誰だかわからないヤツ(しかもハイエナコンサルタント)の声など届かないと思いますけど、病みながらでも生きる意味って確実にあると思います。
あなたの人生を一変させる可能性さえあります。生きづらさを抱える人や、うつになった人にだけ与えられる贈り物があると、僕は思っています?