おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。昨日は母の一周忌だったのですが、悲しみとか寂しさとかはほとんどないんですよ。僕は不謹慎な親不孝者です。
母が怖くて仕方がなかった
僕の母は毒親要素が強く、その上精神的にもかなり不安定だったので、小さい頃から正直僕はかなり母に対してビビってました。詳しくは述べませんが、警察沙汰も一度や二度ではありませんでしたしね。母にはある種の攻撃的な性格があって、僕も幼いころから、殴る蹴る、ネグレクトなどされてきました。その攻撃性が、僕の配偶者様や娘氏にも及ぶかもしれないという恐怖感があって、ここ数年はどうしても距離を置きたくなってたんですよね。
もう40も過ぎたオッサンなんですが、母が怖くて仕方なかったんです。その反面、親に敬意が払えない自分を自己嫌悪したりもしてました。板挟みの状態といえばいいんですかね。
母が亡くなってようやく自分の気持ちがわかる
そんな母が亡くなったのが1年前。独居老人の孤独死でした。
不謹慎だと言われるのを覚悟して書きますが、亡くなったという報に接した僕は、もう母と関わらなくていいんだと正直ホッとしました。
実は、ずっと昔から想像していたんですよ。母がなくなったときにどういう感情になるのかと。ホッとするか、悲嘆にくれるか、どっちなんだろう?と自分でもわからなかったんですが、実際のその状況に直面してわかったのは、悲しい気持ちはなく、ほぼ完全にホッとした気持ちだけだったということです。
その答えがわかった時、「ああ、母との良好な関係を築くのは無理だったんだ」と自然に思えたんですよね。別の言い方をすると、僕自身にその気がなかったことがわかったんです。それまでは、「母と良好な関係を築くのは無理だ」と認めるのに、心のどこかで抵抗があったんでしょう。だって世間一般では「年老いた親をいたわるのが”当然”」って思われているじゃないですかね。世間様のいう”当然”ができない自分は異常かもしれないと心のどこかで恐れていて、認められなかったのでしょう。
でも1年前にはっきりわかっちゃったんですよね。僕は世間様のいう"当然"ができない異常者なんだって。
その時から「親だから」と言って、無条件に敬意を払い、尊重し、孝行しなければならないわけではない、ということが自分の中で確定したような気がしています。母が亡くなってホッとしたというのは、つまりは自分の恐れや迷いにケリをつけられてホッとした、とも言えるのかもしれません。
いろんな気持ちは両立をする
というような親不孝で薄情者の僕なんですが、実は母に対してそれ以外の気持ちもあるんですよね。1年経ってもまだ思うのは「かわいそう」という同情の気持ちです。親不幸者のくせに上から目線で偉そうにと思われるかもしれません。
きつい母親だったのは間違いないんですが、その母の人生のことも多少は知っているので、彼女も大変だったのはわかるんですよね。詳しくは書きませんけど、母もきっと「これはキツい人生だなあ」と思って生きてきたんじゃないかと思うんですよね。そんなキツい人生の締めくくりが独居老人としての孤独死ですからね……。いったい母の人生は何だったんだろうとは、一周忌になってふと思うことです(しかも実の子からネットでこういうことを晒されて……)。
僕の中で「怖い」「ホッとした」「かわいそう」が入り混じっている状態です。亡くなって一年経つんですけど、いろんな気持ちがうずめいている感じがします。
亡くなっても終わることがない感情。これが親子ってやつなんでしょうかねえ……。