おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。僕の両親は不仲だったのですが、子供の僕はそれを見て「相手の言うことを全部聞けばケンカにならないのにな」と思っていました。今考えるとなかなか危険な考えだなと思います😣
夫婦仲が最悪の家庭で育つといろいろ大変
たびたびこのブログでも書いていますが、僕の両親はとても不仲でした。どのくらいかというと、基本的には家庭内別居状態で、たまにケンカが始まると暴力に至るような家です。(念のためにいっておきますが、現代の定義では、こうした所作を子どもに見せることは児童虐待に相当します)
どういう話の流れからこんな発言が出たのかは覚えていないけれども、小学校高学年くらいであった僕は、ケンカをする父親と母親に対してこのようなことを言った記憶があります。
「僕が大人になったら、お嫁さんの言うことは全部聞いてあげる。そして、家の手伝いもする。そうすれば、夫婦ケンカにはならないから!」
我が家は父親が家庭をほとんどかえりみない人だったので、母親がずっと僕に対して愚痴をこぼしてたんですよね。なので父親に非があるんじゃないか?となんとなく思っていたんでしょうね。だから夫が妻に歩み寄るべきだと考えていたのだと思います。
そして僕自身はこの言葉を信じて、その後何十年も生きてきたんですよね。しかし今振り返ってこの発言を思うと、なかなか極端で危険な思考だな、と思いますね😓
家事・育児にがんばる僕
そういう危険思考を信じて生きてきた僕は、自分でいうのもなんですが。それなりに家事・育児をやっていると思います。配偶者様がどう思うかはわかりませんけど。
しかし本音を言うと、これは僕がやりたくてやっているのとは少し違んですよね。正確に言えば「夫婦ゲンカにならない家を作るため」にやっているんだろうと思います。そしてもっというと、僕の父親と母親は夫婦仲が最悪で、四六時中ケンカをしていたので、「あんな家庭を作らないぞ」という僕自身の目的のためにやっているんだろうとも思います。
僕の中から自発的に湧き上がるような、配偶者様や娘氏を愛しているから家事・育児をやる、というのとはだいぶ違うと思うんですよね。
こういう信念だけでは、現実はうまくいかない。
「あんな家庭を作らないぞ」という後ろ向きな理由でやっているので、現実としてはうまくいかないこともたくさん起きるんですよ。
例えばですけど、ある時、ネットかどこかで「家庭円満のためには『してほしいこと』をパートナーに訊くだけでなく『やめてほしいこと』を訊くことも重要」みたいな記事だか書き込みを見たことがあるんですよ。
僕は「なるほど……」と思ったのだけれども、これをいざ配偶者様に訊こうとすると、心がものすごく抵抗をする自分を発見したんですよね。
「こんなに自分は頑張っているのに、これ以上まだ『してほしいこと』や『「やめてほしいこと』を受け入れなきゃならないの?」という気持ちに支配されていくのがわかるんですよ。でも、訊かなきゃ僕の目的である「あんな家庭を作らないぞ」が実現できないので、これは訊くしかないと勇気を振り絞って配偶者様に訊くんです。
そして配偶者様からは
「あれもして」
「これはやめて」
と指摘を受けるのですけれども、やっぱり僕は素直に聞くことができないんですよ。自分から訊いたのにおかしなヤツですよね😅
「素直に聞けないけれども、僕から訊いたのだから、受け入れなければならない」と理性的には思うじゃないですか。でもそれは、どこか自分の本音(まだ頑張らないといけないの?)に反して受け入れているので、ストレスだけがたまるし、イライラもするし、不安や孤独にもなります。そうやって心が不安定になり、家族関係もかえってギスギスしたものになっていったんですよね。(本末転倒ですね💦)
僕自身が幸せになること抜きに、円満な家庭を築くことはできない
円満な家庭を作ろうとする意気込みは、まあよしとしましょう。でも自分の気持ちを偽ってまでも譲歩してしまうことは、かえって不幸な家庭を作る可能性もあるんじゃないかと今となっては思いますね。
自分自身が幸せになることを抜きに、円満な家庭を築くことはできないんじゃないかと思うんですよ。もし仮に、自分自身をどこかに置き去りにしたままで「円満な家庭」を築いたとしても、それは円満なように見えて、爆弾を抱えた家庭に他ならないんじゃないでしょうかね。
誤解のないように言っておきますが、なにも「パートナーの言うことは無視して好きに生きる」ことを推奨したいと思っているわけじゃないですよ。頑張ることを「呪い」のように固執してしまうのがまずいと思いますし、共同生活なんですからパートナーの弱みや限界をうけいれることも重要なんじゃないかなと思っているわけですね。
そして下手な理想があるから、その理想通りにいかない自分や家族を恨んでしまうのじゃないかとも思いますね。理想そのものは悪くはないと思いますが、拘泥させるとロクなことがないですね。
自分の心の声を聞きながら、むやみに頑張ることはせず、パートナーと折り合いをつけていく。「理想に向けて頑張る」以上に、こうした心持ちが大切なんだと思います。