おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。こんな仕事をしているのにアレなのですが、個人的に僕は「計画」を作ることや、「計画」どおりにコトを運ばせることがすごく苦手です。診断をうけたわけじゃないですけど、発達障害なんじゃないかと何年も疑っています。
学校の授業のペースに全然ついていけなくて好きな教科しかやらない
学校の授業のように、全員にあわせた「流れ」のようなものがあって、その「流れ」にしたがって何かをすすめるというのがすごく苦手なんですよね。嫌いすぎて小学校や中学校のときは授業を聞いていませんでした(それでも授業自体はそれほど難しくなかったので、キャッチアップはなんとかできていた)。でもこの問題が顕在化したのが高校生のときです。うちの高校はスパルタ進学校、授業のペースが速く、それでいて高校の教科は難解なものが多くて、しかも理解できていなければ教師から体罰が飛ぶみたいな学校だったので、本当に苦痛でしたね。
それでどうしたかというと、開き直って興味のある勉強だけに特化してやったんですよ。もう怒られるのは承知なんですけど、どの教科もまんべんなく「流れ」にそってキャッチアップしていくというのが不可能なので、そのなかでも興味がある英語だけしか勉強しない、という時期を作ったのです(自ら作ったというか、そこに追い込まれたというか)。計画どおりにすすめることが苦手で、興味関心あることしかできないって、ADHDっぽいなあと自分でも思います。
で、どうなったかというと、これが大成功。急激に英語の点数がアップをして、自信がついたのか、それとも自分にあった勉強法がわかったからなのか、英語を皮切りに他の教科も信じられないくらい成績があがりました。
とにかく会社の言う「中期経営計画」とか「年次計画」とかに興味が持てない
「計画が苦手」というのは、大人になってからも苦しめられました。新卒で入社した会社には、半期に一度「チャレンジシート」を書いて提出し、同期の前で発表するという地獄のようなイベントがありました。「チャレンジシート」というのは、まあ言ってみると個人別の目標管理シートですね。んで、発表のときに、人材育成担当者はもちろんですけど、他の同期からダメ出しを受けるんですよね。計画を立てることが余計に嫌いになるだけのこんなイベントに何の意味があるんだ?って今でも思いますよ。怒られないよう、突っ込まれないように計画は作るんですけど、当然計画どおりに実行なんてしないわけですよね。この頃になると智恵も回るようになってきたので、努力をせずとも自分ができそうなことを目標に書いて、そこから逆算して計画に落とし込むというテクで乗り切ってました。
今の僕の仕事柄、こんなこと言っていいのかわかりませんけど、万事こんな感じなので、とにかく会社の言う「中期経営計画」とか「年次計画」とか全く興味ないわけですよね。で、そういう計画に逆らって好きなことだけをしようとするので、そりゃ社内で摩擦もおきます。だから僕はどんな会社で働いてもやっていけなくて、転職を繰り返していたんだと思いますね。今は零細の一人親方になってしまいましたが、「計画」から開放されてとてもいい気分です😊
今はコンサルという仕事をしていて、たとえば3SとかISOのような「計画」づくりを企業に対して「押し付ける側」にまわったわけですが(あえてこういう表現を意図的に使っています)、ご覧のように計画には固執しない(できない)性格なので、できた計画も臨機応変に変えるように助言をしています。これで何かトラブルになったことや、成果が著しく落ち込んだようなことは一度もないですね。
私たちの生が容易には予測できない
ここでちょっと自己正当化をしたいと思うのですが、「偶有性(ぐうゆうせい)」って言葉をご存知ですか?馴染みのない言葉ですよね。この「偶有性」という言葉は、僕は茂木健一郎氏の『生命と偶有性』という本で知りました。正直言うとつまらなかったので本の内容はほとんど覚えていませんが💦、「偶有性」が大切だという考え方にはとても共感したことだけは覚えています。
「偶有性」を明確に定義した箇所は、その本にはなかったんですけども、僕が読んだ限りでは
- 私たちの生が容易には予測できないということ
- 法則性に付随する不確実さ
ということだと理解をしました。そもそも私たちの生は容易には予測できないので(計画が立てられないので)、予期せぬことに身を任せること(その場に応じて臨機応変に生きること)も必要ですよということなんですよね。極端な例かもしれないけど、新型コロナウイルス感染拡大みたいなこと不測の事態(=偶有性ある出来事)が起こりえますから、たとえいくら素晴らしい経営計画を書いたところで、こうした不測の事態をあらかじめ計画に含めるのは不可能なんですよね。無論、計画づくりに意味がないとは言わないし、否定もしません。実際には予期できることもたくさんありますからね。
偶有性を考慮に入れなければならないのは、なにも会社の事業計画だけじゃないんですよね。個人のキャリアプランなんかにも同じことが言えると思います。例えば「海賊王に俺はなる!」と固い決意をもっていたとしても、自分が突然に障害や病気になればキャリアプランは変わります。彼らは仲間ととまに海賊をやっているけれども、もしも仲間が両親の介護のために職場を離れたらどうするんでしょうかね。なんとも夢のない話なんですけど。
予期せぬことは必ず起きるのだから、無理に目標や計画を立てるのではなく、予期せぬことは受け入れながら行きていこうようというという考えは、それはそれで妥当性があると思うんですよね。話は飛びますが、生命の進化も、目標や計画なんてなかったはずなんですよ。地球に生命が誕生したのが42億年前ですが「42億年後ごろに人間を作ってやろう」という計画や目標を立てて、そこから逆算して生命が進化していったはずもないんですよね。その時々の環境に適応していっていたら、いつのまにか現在のような生態系が意図せず出来上がっていたはずですからね。
不確かな時代になるほど「こうすれば成功する」という規則性・法則性ある「計画」にすがりたくなるのも人間です。でもこの世の中は不確かなのだから、「こうすれば成功する」計画なんて立てられるはずがないんですよね。私たちは不確かな時代に生きていることを認め、不確かなままで生き、起きたことをただ受け止めよ、という生き方のほうが実は合理的なんじゃないでしょうかね。(ここまで自己弁護)