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この世の中は公平なはずだという僕の思い込み(世界公平仮説)

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。皆さんは誰かからウソをつかれたとしたらどう思いますか?僕は「嘘つきは即死ぬべし」と思っちゃうんですよね。でも反射的にそう思ってしまうことは、実は自分自身を生きづらくしているのかもしれません。

「殴られたら殴り返せ」と心の声がする

以前の職場でのことですけど、上司からウソをつかれたことがあったんですよね。上司が「わかった、そうするよ」と約束したことがあったんですが、後になって「そんな約束はしていない」と、約束を反故にされたことがありました。

僕はまさか約束を反故にされるとは思っていなかったので、とてもびっくりしました。でも「わかった、そうするよ」と約束したときのもようを録音していたわけでもないし、約束事を書面で交わして確認をしたわけでもなかったんですよね。「そこまでしなかったお前が甘かったんだ」と言われたらそうかも知れませんけど、まさか180度異なることを言われるなんて思ってもなかったですからね。

で、約束を反故にされた僕は

「ウソつきは死すべし!目には目を!歯には歯を!殴られたんだから殴り返せ!!」

という気持ちに縛られてしまったんですよね。

同時に襲いかかる自己嫌悪

ウソをつかれて、相手をぶん殴ってやりたいと思う反面、「相手に舐められる僕が悪い」「僕にもスキがあったんだ」という自己嫌悪にも襲われるんですよ。自己肯定感が低いって本当にやっかいですよね💦 その時は本当にキツかったですね。人生最大級の憎しみと自己嫌悪が同時に襲ってくるんですからね。

今になって思うと「ウソつきは死すべし」とか「ウソをつかれた僕が悪い」というネガティブ感満載な思いがどこからくるかというと、もとを正せば「この世の中は公平なはずだ」という僕の頭のなかにある世界観から来ているのだと思います。つまり「本来、この世の中は公平なのだ。だから、ウソをつくような、不公平な奴らは、罰せられて当然なのだ」という世界観ですね。

僕自身には身びいきがありますから、「自分は善良なはず」だという思いこみがあります。そんな善良であるはずの僕が、誰かからウソをつかれてしまうことなんてあってはならないんですよね。でも事実としてウソをつかれてしまったわけで、その事実との整合性をとろうとすると、「僕に落ち度があったので、ウソをつかれることは自業自得なのだ」という思考をとることで、僕の頭のなかにある公平な世界を維持しようとするわけですよ。自分自身を悪者にしてまでも守りたい世界観ってすごくないですか?💦

というわけで、憎しみと自己嫌悪の根っこは同じで、それは「この世界は公平なはずだ」という思い込みなんでしょう。そしてこういう世界観のことを「世界公平仮説」と呼ぶんだそうです。

公平ではない現実世界

しかし、現実世界はとても「公平だ」と臆面もなく主張できるようなものではないというのが僕の見立てです。何の落ち度もないのに、事故や災害や亡くなるひとなどゴマンといるわけです。ブラック企業がそこかしこに存在するように、悪がのさばっている例など、そこかしこにあります。勧善懲悪という世界であってほしい気持ちはわかるけれども、そもそも善とは何か?悪とは何か?僕自身は完全なる善だと言えるのか?と、考えれば考えるほど、確かなことが言えなくなってきます。

おそらく現実世界というのは、善と悪とで分けられるようなシンプルなものではないのでしょう。誰が見ても普遍的な善と言うものはないし、同じように普遍的な悪もない。のさばる悪もあれば、成敗される悪もある。個々には必ず背景や事情、そしてそれを取り巻く環境があって、「勧善懲悪」などと一言で言えるような単純なものではない、というのがこの世界の現実なのだと思う。

その現実を無視して、「ウソつきは死すべし」「ウソをつかれた僕が悪い」と反射的に考えてしまうのは僕の悪い癖なのでしょう。おそらく「相手方が本当にウソをついたのかどうなのかは闇の中だし、仮にそれがウソであっても、ウソつきが成敗されるか、僕が先にくたばるかは、誰もわからない」というのが、より現実的に世界を捕らえているのだと思います。

自分のみたい世界を見るのではなく、ありのままの世界でよしとする

まあ長年「ウソつきは死すべし」「ウソをつかれるような自分は虫ケラ以下の存在だ」と思って生きてきたので、簡単にその思い込みを簡単に捨てることができるとは思わないですが、僕の信じている世界もどうやら現実的ではないと知っておくことも必要なのかもしれませんね。自分が「こうだ」と思い込む世界が全てなのではなく、ウソがまかり通るようなありのままの世界さえも受け入れる、みたいな感じで。

そういう割り切りは簡単にはできそうにありません。でももし「現実的にはウソがまかり通ることもあるだろう」と達観できるのであれば、そっちのほうがはるかに楽なんじゃないかと思うんですよね。

  • B!

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