おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
ひさしぶりに「仕事・家事・育児の両立ブログ」です。ちょっと前のものですが『男が家事・育児をしない理由は本当に「長時間労働」か?』という記事を見つけました。根っこにあるのは「ジェンダーロールへの固執」なのかもしれません。
毎日新聞記事『男が家事・育児をしない理由は本当に「長時間労働」か?』
この記事の中には、こんな記述がありました。
実際、長時間労働でなくても、妻と収入が変わらなくても、仕事にさほど熱意がなくても、家事・育児をまったくしない男性のケースを見聞きします。
そのような夫たちが「ごめん、今日は仕事で遅いから」というとき、その言葉の裏に「子どもの世話はお母さんの役目」という意識が潜んでいることを、多くの女性はうすうす気づいているでしょう。
「怖い」という気持ちもあるのではないか
根っこにあるのは「子どもの世話はお母さんの役目」というジェンダーロールへの固執だ、ということですけど、これにはぼくも同意見です。「育児をすることは自分の男性性が否定される気がする」という気持ちだ、といってもいいかもしれません。
ただしもう少し自分なりに議論を発展してみると、「育児に責任を持ちたくない」「育児が不安で怖い」ということもあるんじゃないかという気がしますね。
わからないもの(家事や育児)に対する不安があるので、わかっていること(仕事)に逃げ込んでしまう気持ちというんでしょうかね。そしてその姿勢は、男性社会(≒会社)では否定されないので、そこに逃げ込みやすいんじゃないかという気もします。
でも会社の仕事でも似たようなことが起きることがあるんですよね。なにか新しいことを会社でやろうとしますよね(なんでもいいんですけど、例えば5Sとか)。でも、新しいことに反抗的とまではいわないものの、積極的にならない人がまずまずいます。まあみんながみんなそうだとはいいませんけど、こういう人の中には「新しいことがうまくできなければ、評価が下がりそうで怖い」という人がいます。つまり「自分を守るために新しいことはしない」と決めている人なので、無理矢理にやらせようとするとかなり感情的になって抵抗するんですよ。
まあ「男が『怖い』なんていう言葉を吐くのはもってのほかだ」というジェンダーロールもあるでしょうから、「怖い」という感情とジェンダーロールへの固執は表裏一体なのかもしれませんけど。
感情に根ざしているので、理屈では動かない
「怖い」という感情に根ざしているとなると、理屈で説得して動かそうとしてもまず動かないでしょう。動いたとしてもイヤイヤでしょうし、あまり押し付け過ぎると遺恨を残します。
「自分が怖い」とか「自分がジェンダーロールに固執している」ということが根っこにあることを認められるような人だったらいいんですけど、そうでない人を動かすような「魔法の言葉」や「魔法の方策」なんてものはきっとこの世にはないでしょうね。
ぼくの場合は子どもが生まれたあとにうつになって、そこから脱したい思いで、カウンセリングやワークショップなどに足を運ぶようになったりいろんな本を読んだりして、その過程で気づくことができましたけど、そうでなければどうすればいいんでしょうかね。本人も抑圧されていることに気づいてなく、本当は生きづらいはずなんですけどね。
ぼくのケースのように、認知行動療法的になんとかするか、もしくは社会を変えていくしか方法はないのではないかと思います。
そして多くのケースでは、現場の努力(そのほとんどは女性による孤独とも言える努力)で、子育ての手間のかかる時期を、曲がりなりにも乗り切ってしまうので、男性的な価値観で動いている社会はなかなか変容しないのでしょう。
いずれにしても長い時間がかかるものなので、いまここで「夫が家事や育児をしてくれない」と途方に暮れている人を救う手立てにはならないのかもしれないのが辛いところです。