おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
2年半ぶりくらいに郷里へ戻ってきました(杉の井ホテル泊)。子供の頃から何度も来ているこのあたりなんですが、杉の井ホテル周辺は「石垣原の戦い」の大友本陣があった場所でもあるんですよね(脈絡のない唐突な導入)
参考文献
「石垣原の戦い」とは
ごく簡単に言うと、大友義統(豊臣方)と黒田如水・細川忠興連合軍(徳川方)が、関ケ原の戦いの裏?で、九州豊後国でやった戦いのことです。なんで関ケ原の戦いなのに九州で戦争やってるの?というのは、ちょっと説明が面倒くさいので割愛します。(大人の事情です)
石垣原の戦いの布陣はだいたいこんな感じだろうと勝手に推測しています。大友軍は、観海寺温泉あたり(現在の杉の井ホテル周辺)に陣を構え、黒田・細川軍は現在の実相寺山付近に陣を構えたそうです。
大友本陣にクローズアップします。今回現場に足を運んだのは、大友本陣と、石垣原の戦いの大友五大武将のうち、宗像掃部陣所、吉弘統幸陣所です。
大友義統陣所(大友軍本陣)
大友義統陣所(大友軍本陣)は、杉の井ホテルをさらに西(山側)に進んだところにあります。民家の敷地に記念碑?があるんですけど、この民家が代々続く庄屋の家系のようですね。
ちょっとわかりにくいんですけど、道案内があります。(Googleマップでも場所が記されているので便利)。
こんな立派な石碑と説明板、供養塔があります
解説板。
「大友本陣の歌」なんてのもあるんですね。大友びいきの歌詞ですね。まあそりゃそうでしょうね。黒田も細川も、豊後の民からしたら、ぽっと出のよそ者なんですからね。
宗像掃部陣所跡
宗像掃部とは、宗像鎮続という諱があるらしいんですけど、出自がよくわかってないようですね。
宗像掃部陣所と墓地は、大友本陣から200mくらい西側(山側)にいったところにある天満神社にありました。
こちらが宗像掃部のお墓。神社の建物内には天井画で石垣原合戦図があるらしいんですけど、このときは早朝なので見ることは叶わず。
吉弘統幸陣所跡
大友本陣・宗像掃部陣所から東側(海側)に1kmくらい離れたところに吉弘統幸陣所があります。吉弘統幸は大河ドラマ「軍師官兵衛」でも出てきましたね。(唐突に出てきて唐突に戦死したけど)
陣所は朝見川と断層崖に挟まれた場所にある
杉の井ホテルの立地がまさにそうなんですけど、朝見川と断層崖に挟まれた隘路に建物が立っているんですよね。天然の要害だったのかもしれません。川もあるし背後には山もあるし、隘路で敵を迎え撃ちやすそうだし、そういう思惑からここに陣を敷いたのでしょう。
杉の井ホテルが、なんで細長い構造になっているのかが、地形からもよくわかりますね。
こちらは本陣(杉の井ホテルあたり)から見た、黒田・細川軍の本陣のあった実相寺山付近です。直線で2~3kmくらいでしょうかね。合戦での敵軍との距離感って、こんな感じだったんですね。