おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
突然ですが、アンチエイジングはもうやめようと思っています。これからは白髪染めもしないし、お腹が出ていてもそれでいいじゃないかという生き方で行こうかなあというエモいお話をします。
たいしたアンチエイジングをやっているわけではないが……
アンチエイジングとは、いつまでも若々しくありたいと思ってあれやこれやをすることです(説明になっていない説明)。僕も30代後半から白髪染めをしたり、体力の衰えやメタボ対策でジョギングやハイキングやダイエットなんかをやっていました。あとは加齢臭対策として、柿渋石鹸を使っているとかいうのもありますかね。まあそれほどたいしたアンチエイジングをしているわけではないのですが、これらは基本的に止めてしまおうかなあと思っています。
アンチエイジングは「自己の否定」ではないか
というのも、もともと多少違和感はあったのですが、アンチエイジングってある意味「自己否定」のように思えるんですよね。人は年を重ねるごとに老化することは自然なことです。その自然の姿にあらがって若い状態を維持しようということですから、あたかも川の流れに逆らって泳ぎ続けるようなものと言えるのではないでしょうか。
確かに行き過ぎた肥満などは生活習慣病のリスクを高めるものですが、僕の場合はそれほど太る体質でもないし、若いころから比べると体重は増えているものの、ギリギリ標準体重の範囲内です。それを無理して20代の時と同じ体重を目指すのはキツいんですよね?
まだかろうじて40代も半ばですから、努力をすれば30代に見間違えられるくらいの外観はキープできるかもしれません。しかしこれから50代、60代になっていくと、さすがにそれをキープすることはできません。いつまでも若いままでいたいと思いながらも、努力をしても納得できるレベルの若さを取り戻せなくなるわけですよ。そうなると自分にも失望をしていくでしょうし、もっと努力をしなければと自分に追い込みをかけ、疲弊していくことでしょう。自分のことなんで、そうなることはよくわかります?
我々は「若さ」という価値にとらわれすぎてはいないか
なぜアンチエイジングという考え方が人口に膾炙しているかというと、我々は意識的、無意識的に、若さに価値を感じているからではないかと思います。テレビでは「美魔女」がもてはやされます。オジサンやオバサンといった言葉は、どこか否定的なニュアンスを含んでいます。誰がそういう価値観を広めたのかは知りませんが、他人が勝手に作り上げた価値観に自分自身が染められているんじゃないか?と思うことがあるんですよね。年相応に年を取るという選択肢もあるはずなんですけど、あまり世に受け入れられている価値観ではないように思います。
本当に自分は若いままでいたいのか?と自問自答したときに、明確に「若いままでいたい」と思う理由が僕の中にはないんですよね。
結局は「自分は自分でしかない」
いくら20代や30代に見られるように頑張ったとしても、実際の自分は40代中盤のオッサンなんですよ。それなのに、世間様の価値観に迎合して「若くありたい」と思うことは、物事を見る物差しを他人に預けるのと同じではないかと思う訳ですよ。
そりゃ頑張れば若作りすることはできるかもしれません。しかし苦しい努力を積み重ねて、そうまでして「若い」自分を手に入れたとして、自分が幸せになるか?と考えると、どうしても幸せになれるような気がしません。それは僕がこれまでの人生のなかで、高い学歴、有名な会社、難しい資格の取得にチャレンジをして、それらを手に入れたにもかかわらず、必ずしも幸せになっていないという事実からも推し量れること。他人様の価値観にそって、高みを目指しても、それは自分の幸せには直結しないことをわかってしまっているんです。
ダメな自分を底上げするために高みを目指したのに、底上げができるどころか、幸せになれない自分に気づくんですから世話ねえな、という感想しかありませんけどね?
なのでもう、世間様の「若いほうが価値がある」という価値観にそって努力をすることは、僕にとってはバカバカしいんです。アンチエイジングをしている人を否定するつもりは毛頭ないのですが、少なくとも僕には不要だとわかった、ということですね。
白髪だらけの自分も、中年太りの自分も、疲れやすく体力の落ちた自分も、全て今の自分です。その自分を受け入れずして何かを追い求める先に何があるというのでしょうか。どこまでいっても自分は自分でしかないありません。唯一無二の、ほかならぬ自分自身が、本来の自分を認めてあげなくて、一体だれが素の自分を認めてくれるのか?と思う訳です。
自分は自分でしかないと諦めて、そんな自分を否定せずに受け入れること。それが今の僕には必要なことです?