おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
今日は平成最後の日ですね。平成で最も自分にとって影響のあった出来事はなんだろう?と考えていたのですが……おそらく実の親と絶縁状態にあることだと思うのですよ? 身内の恥をさらすのもなんだかなあと思いながらも、どうせ平成も最後だからと盛大にぶっちゃけたいと思います?
個人的なことで恐縮ですが、親とは目下絶縁中です?
かなり個人的なことで恐縮なのですが、僕は実の両親、兄とは絶縁状態です。もう何年も連絡を取っていません。その原因は父の不倫にあります。父の不倫は昭和の終わりごろから疑惑がありました。平成になったころあたりに、どうやら母がしっぽをつかんだようで、おかげで家の中はめちゃめちゃなことに? その事件が今でも尾を引いているというので、やっぱりこれが僕の平成史ワーストオブワースト大事件なんだろうなあと思っています。
2年ほど前、娘の誕生日前後のこと。絶縁中の父が、僕の娘(彼から見ると孫)の誕生日プレゼントを宅急便で送りつけてきたことがありました(何の事前連絡もなく、ただ宅急便が来た)。それを受け取った僕は、ワナワナと怒りが湧いてきました。怒りで体が震えるって本当にあるんだと思いましたもん? で、怒りに震える僕は、プレゼントを受取拒否して、父親に送り返してやりました(受け取ってメルカリにでも出せばよかったか……)
配偶者様は、別にどうでもよいというスタンス
恐ろしいことに、僕の父は僕が子どものころから不倫をしていて、それが今でも継続しているんですね(昭和・平成・令和と3時代またぎ!)。ある意味すごいなあとは思うのですが、さすがに実の父が不倫をしているというのは自分自身もいい気持ちがしないのは当然のこととして、僕の配偶者様や娘に対してはちょっと説明がしずらくて、僕の家族に対しても体裁が悪い感じがあります。一度父に「不倫相手と別れてほしい」と言ったことがあったのですが、「何が悪い。余計なお世話だ」と開き直って一刀両断されたこともあり、それ以降はあまり関わりたくないということで、僕が一方的に連絡を断っているわけです。
僕の父親が不倫をしていることについて、僕の配偶者様は
「ふ~ん。別にいいんじゃない?」
というあっけない感想もっています?
自分の夫の父親が不倫をしていると聞いたら、気持ちわるいと思ったり、イヤだという感情が湧くもんじゃないかな?と思っていたんですが、配偶者様に言わせると
「そりゃいい気持ちはしないけれども、私たちの今の生活に実害もないしね」
という合理的なご回答。
まあ……たしかにそうなんだけど、僕は当事者だからなのか、父親の不倫に対しては強い怒りしかない。もう少し詳しく言うと「僕の存在がないがしろにされた」というような気持ちを持っています。
怒りの一因としての「期待」
ところで、この「怒り」という感情は、あくまでも表面化した感情であると言われることがあります。怒りの背後には、不安や恥といった感情があって、それが怒りを生み出しているということだそうです。僕はこの怒りの一因に「期待」というものがあるんじゃないかと思っています。
僕には、父に対して「父親として僕や僕の家族を愛してほしい」という期待があるのでしょう。ところが、期待に反するような出来事(不倫の肯定)が起きています。すると期待を裏切られそうになった(愛してもらうという機会、あるいは利益を失いそうになった)僕は、怒りを表出するわけですね。こんなメカニズムではないかと思っています。
真因が「期待」であるという証拠を別の角度から見てみましょう。例えばイギリス・チューダー朝のヘンリ8世は、不倫から離婚問題を起こし、こともあろうかカトリックを抜けて、イギリス国教会まで立ち上げた王様なんですが、僕は別にヘンリ8世には怒りは沸きません。だって、ヘンリ8世には個人的に何の期待もないですからね?
なので、怒りを起こすのは「不倫」という出来事そのものではなく、相手に対する「期待」なんだと思います。不倫は、そのトリガーに過ぎないのでしょう。僕の配偶者様が、僕の父親の不倫にあまり関心がないのもこれで説明がつきますね。配偶者様は、僕の父には別に「期待」をしてないのでしょう。
「期待」をなくすことはできるか
僕が父にに対して「不倫は止めろ!」と怒っても、父はガン無視なわけですよ。僕の期待に反する出来事(不倫)を、怒りによって変えることができないので、僕は怒りっぱなしの状態で苦しいんですよね……。怒りの出処が「期待」にあるということは推察がついているので、理屈の上では「そもそも父には期待しない」というようになれば、怒りは収まるはずなんですが……理屈ではわかっているんだけど、感情が許さないというか?
冒頭の話に戻りますが、父親から唐突に娘へのプレゼントが来た時、僕は怒りで自分の身体が震えるのがわかりました。親には「期待しないようにしよう」と、子どものころから生きてきたつもりではあったのですが、やっぱり染み付いた「親に対する期待」というのは、そう簡単には解けないんですよね……?
この染み付いた親への期待にどう向かい合うかは、ついに平成の間には解決をせず、新時代に持ち越すことになってしまったようです。いや、もしかしたら意志でなんとかできる問題ではないのかもしれなくて、別にこのままでもいいのかもしれないし、よくわからないというのが正直なところですね。まあ深く考えずに「今ここ」を生きるしかないのかな、というのが平成での結論となりそうです?
やはり「心理的安全性」が大切
ところで、どうしてこういうぶっちゃけ話を書こうと思ったかというと、これは当社の支援方針でもあるのですが「心理的安全性」のことを言いたかったからなんです。親が不倫をしていて家庭が荒れると、子どもにとっては安全な居場所ではありません。勉強にも身が入らないのはもちろんですが、自尊心が大きく傷ついてしまいますからね。そういう親とはいたくないと、絶縁してしまうわけです。このメカニズムって、会社や組織でも同じだと思うんですよね。自分の安全性を脅かす存在を尊敬できたり、その人のために何かをしようという気にはなりませんからね。
実家のほうは今さら修復可能だとは思っていませんが、せめて自分の配偶者様と娘だけでも、この家を心理的に安全な場所にしたいと切に願いつつ。