おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
今日もエモブロです?地下鉄の出口のような地上にあがる階段の先に、空が見ことがありますよね。このアングルで空を見ると、なぜだか「もっと頑張らなきゃ」って思ってしまうんですよ。そんなことありません?(僕だけ?)
ここから上に見える空を見ると、「上り詰めたときに何かがありそう」「上に行けば広い世界が広がっている」って気がしませんか?まあ、上り詰めたところで、実際には人と車とビルくらいしかないんですけどね?
こういう風に思うようになったのって、社会人になってからだと思います。地下道さえもろくにない田舎育ちの僕にとっては、こういう絵図に出会うこと自体がレアでしたからね。今でもはっきりと覚えているのは、僕が最初に勤めた会社の最寄り駅の地下鉄の階段で、階段の先にある空を見ながら「もっと頑張らなきゃ」って思ったことです。
「もっと頑張らなきゃ」――。
若い頃は何かに急かされるようにそう思っていました。自分で言うのもアレですが、勉強や仕事は相当やりましたよ。その上、面白くて楽しい自分を演じていたから、敵はほとんどいなかったし、だいたいどこにいっても「今村くんはいい人だね」と言ってもらえましたから。
でも、僕は全然満たされませんでした。そりゃまあ、褒められたり、何かをやり遂げた瞬間は嬉しいんですよ。でも、それは一瞬だけの花火。それが自分の屋台骨を支えるような自信には一切つながることはありませんでした。
その頃の僕は「自信には根拠が必要だ」と思っていたからでしょう。自信の根拠とは「診断士になれたら自信になるだろう」とか「TOEICで○点とったら自信になるだろう」とか「フルマラソン完走したら自信になるだろう」というもの。こういう根拠を求めるのは際限がありません。TOEICで○点を取ったら嬉しいだろうけれども、もっともっと高い点を取らないと自分が満足できなくなりますからね。
少なくとも僕の場合は、根拠を求めながら自信がつくなんてことはなかったんですよ。今になって思うことは、苦しいけれども自分と徹底的に向かい合って「根拠なんかなくたって、きれいな部分も汚い部分もひっくるめて自分は素晴らしいのだ」と思えなきゃ、本当の自信にはならないということです。そしてその方法は、そこらへんに簡単に転がっているようなものではなく、自分の内面とひたすらに向かい合うことでしか得られない、ということでしょうか。
昨日、地上にあがる階段に見える空を見て、また「もっと頑張らなきゃ」って思っている自分を見つけました。
ただし見つけたのは、根拠を求めて頑張る自分ではなく、根拠なく自分を肯定することを頑張ろうと思っている自分でした?