おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
今日も誰も興味のないであろうご当地歴史探索ブログです。当社の近く(と言ってもだいぶ西側ですが)には、その距離わずか500mほどの県道があります。兵庫県道345号線という立派な?県道なのですが、県道と言われなければわからないような生活道路です。どうしてここに県道があるのでしょう?
兵庫県道345号線とは
Wikipediaによると、兵庫県道345号線は次のように解説されています。
兵庫県道345号本山本庄線(ひょうごけんどう345ごう もとやまほんじょうせん)は神戸市東灘区本山南町(旧武庫郡本山村)と神戸市東灘区青木(旧武庫郡本庄村)を結ぶ一般県道である。神戸市の市街地にある数少ない県道だが、幹線道路としての機能は果たしていない。
「神戸市の市街地にある数少ない県道だが、幹線道路としての機能は果たしていない」書かれていますね。
そもそも県道の定義は、道路法第7条で決められています。
- 市又は人口5000人以上の町(以下これらを「主要地」という)とこれらと密接な関係にある主要地、港湾法第2条第2項 に規定する重要港湾若しくは地方港湾、漁港漁場整備法(旧称・漁港法)第5条に規定する第二種漁港若しくは第三種漁港若しくは飛行場(以下これらを「主要港」という。)、鉄道若しくは軌道の主要な停車場若しくは停留場(以下これらを「主要停車場」という。)又は主要な観光地とを連絡する道路
- 主要港とこれと密接な関係にある主要停車場又は主要な観光地とを連絡する道路
- 主要停車場とこれと密接な関係にある主要な観光地とを連絡する道路
- 2以上の市町村を経由する幹線で、これらの市町村とその沿線地方に密接な関係がある主要地、主要港又は主要停車場とを連絡する道路
- 主要地、主要港、主要停車場又は主要な観光地とこれらと密接な関係にある高速自動車国道、一般国道又は前各号の一に規定する都道府県道とを連絡する道路
- 前各号に掲げるものを除く外、地方開発のため特に必要な道路
このいずれかに該当するので、この道も兵庫県道345号線を名乗っているのでしょうが、なぜこんな変哲もない普通の生活道路が県道なのでしょうか。現場探索をしてみました。
「本山本庄線」という、本山村と本庄村を結ぶ路線
兵庫県道345号線は「本山本庄線」というサブタイトル?が付けられています。昭和25年に神戸市に合併するまでは、この辺りは独立した行政区域としての村でした。本山村と本庄村という異なる村落を結ぶ道が、この「本山本庄線」だったのでしょう。現在の地図から、本山村と本庄村のだいたいの位置関係を見てみましょう。
旧本山村は、現在の住所で言うと本山北町、本山中町、本山南町、森北町、森南町、岡本、西岡本、田中町、甲南町の領域ですね。一方の旧本庄村は、深江北町、深江南町、深江本町、本庄町、青木の領域です。当社所在地は旧本庄村にあります。
旧本庄村は、その中でも深江、青木、西青木の3村に分かれていたようなのですが、どうも地図から見ると、兵庫県道345号線は、本山村の中心と、青木村の中心を結ぶ生活道路だったのではないかという気がします。
昭和7年の地図を見てみると、もっとはっきりわかると思います。現兵庫県道345号線は昭和7年当時の写真にも確認ができ、しかもお互いの村のど真ん中を結んでいることがわかります。
というわけで、県道の定義からいうと「4. 2以上の市町村を経由する幹線で、これらの市町村とその沿線地方に密接な関係がある主要地、主要港又は主要停車場とを連絡する道路」に該当するんでしょうかね。神戸市役所に確認すればわかるのでしょうけど、そこまでするモチベーションもない僕でした? (注:兵庫県道とはいえ、神戸市内での管理は神戸市が行っているのだそうです。これは県庁の道路課に確認済み)
ただし現在は、国道2号線と国道43号線の間だけが県道指定されているようです。
旧本山村中心部を歩く(非県道区間)
本山村と本庄村(青木村)を結ぶ道と、現在の山手幹線の合流地点です。ここから山側の道は区画整理がされていなくて、曲がりくねっています。おそらく昔からの地割が残っているのではないかと思われます。
この近くには本山第一小学校があります。本山第一小学校は明治8年創立です。学制が発布されたのが明治5年ですから、おそらくこの近辺で最も早くできた小学校の一群に含まれているのだと思います。そこからも旧本山村の中心部であったことがうかがえるようですね。
山手幹線との合流点から北西に100mほど離れていますが、ここに旧本山村役場がありました。現在は本山地域福祉センターになっていますね。この付近が旧本山村の中心部と断言してよいでしょう。
さて、本山本庄線の非県道区間を南下します。途中で田邊山神社があります。この辺りは田辺村と呼ばれていたようですね。(田邊村とは、本山村の中の大字だったのか?)
踏切にも田邊村の名残が見受けられます。
さてそうして南下していくと、やがて国道2号線が見えます。旧西国街道ですね。この信号を超えたところから県道区間になります。
国道2号線~国道43号線の間(県道区間)を歩く
さて本題の県道区間フィールドワークです。ところでこの県道345号線は、県道表示が1つしかありません。本山中町4南の交差点から西に50mほどのところに、写真のような県道表示ヘキサがあります。これがおそらく唯一のヘキサです。東行き車線には表示がありますが、なぜか西行き車線にはありません。謎ですよね。
いよいよ県道区間です。どう見てもただの生活道路ですね。
小寄公園のある交差点です。ここと交差する東西の道は、旧横川という条里制により人工的に採掘された用水路だったと思われます。(詳しくは当ブログの過去記事をご覧ください!?)
現在の鳴尾御影線との交差点ですね。鳴尾御影線は市道なんですよね(たぶん)。こっちが県道でもおかしくないくらいだと思いますが?
阪神電車の踏切の少し北側には、飲食店がたくさんあるエリアがあります。ここ、青木の駅からも微妙に離れているのに飲食店が密集していてなぜだろう?と思っていたのですが、もしかしたらこの県道は(本山村と本庄村を結ぶ主要道路なので)昔から往来が多くあり、それで飲食店街が形成された、と考えられるかもしれません。
阪神電車の踏切名は「青木古堂町」です。古堂というのは、昔の小字名ですね。荘園の単位だったのかもしれません。
国道43号線に突き当たりました。県道区間はここでおしまいです。
旧青木村を歩く(非県道区間)
ところで、兵庫県道345号線の終点から東へ100mほどのところに八坂神社があります。そこに道路元標が残っていました。この辺りが青木村の中心部だったのでしょう。
八坂神社の裏手にある青木文化センターには火の見櫓があります。これ、大正時代から現存しているそうで、都市部に残る火の見櫓としてはかなり珍しい部類なんだそうです。
43号線を浜側へ越えたところです。防潮堤に突き当たり、先にはサンシャインワーフという商業施設があります。サンシャインワーフは商業施設ですが、ここには平成9年まで東神戸フェリーターミナルがありました。
ターミナルビルは今でも現存しています。僕も大学四回生の時、四国にいる友人に会いに行った帰り、ここに降り立ったことが一度ありました。まさかこの近くに住んで、自分で商売をするとは、この時は想像もしなかったなあ。
建物には「船客待合所」のプレートがまだ残っています。
だいぶ改装されましたが、少し前まではカーフェリーが着岸する岸壁が残っていました。青木の港は戦前の早い段階から工業地帯化が進んでいたようです(川西航空機の甲南工場があったことからわかるように)。したがって、漁港中心で砂浜の多い深江と比べて、青木の港のほうがフェリーターミナル化しやすかったんでしょうね。で、それがモータリゼーションや震災の影響で商業施設へと変貌した、という経緯があるのでしょう。
兵庫県道345号線は、わずか500mの短い県道ではありますが、その背後には大いなる(かつローカルな)歴史が隠されていました?