今日で阪神・淡路大震災から23年を迎えました。僕は当時大学生で、神戸市内で被災をしました。幸いにして僕の住んでいたところは被害がほとんどなく、インフラも水道が使えないことを除いては、普段通りの生活を続けることができました。
震災は、その直後に起きる被害が大きいのは当然のことですが、その後にじわじわと残る後遺症にも苦しめられます。今日はそんなお話です。
バイト先で、二重ローンを抱えたオーナー
僕は震災の翌年から、喫茶店でアルバイトをはじめました。その喫茶店は、僕が客として入り浸っていた店だったのですが、
「今村くん、ちょっとうちでアルバイトせえへんか?」
と声をかけられて、アルバイトを始めたのでした。
オーナーも震災の被災者。震災で自宅が倒壊し、しばらくのあいだはお店で寝泊まりをしていた……などという話を、バイトの合間によくオーナーから聞いていました。そして震災の翌年には、オーナーは新しい家を立てたのです。ただし、倒壊した家の残債もあり、二重ローンを抱えていました。
オーナーを容赦なく襲う不景気
オーナーも、決して無計画で二重ローンを決意したわけではないでしょう。しかし震災で被害の大きかった神戸の中心市街地を離れる人が多かったせいか、震災後は客足もばったり途絶えてしまいました。しかも折からのバブル崩壊後不況。売上が以前よりも減っているのは、閉店時にレジの集計をする僕の目から見ても明らかでした。
僕はその後バイトを辞め、就職して大阪へ転居したこともあり、お店からは足が遠のきました。
金を貸してほしという度重なる連絡
僕が就職をして2~3年たって、ひんぱんにオーナーから電話がかかるようになりました。
「今村くん、10万円でいいからお金を貸してくれないか?明日中にまとまった支払いが必要で、どうしても工面できなくて……かならず返すから……」
というような連絡を何度も何度も受けました。
オーナーにはとてもよくしてもらっていたので、僕も最初はお金を貸していたのですが(全部で30万円ほど貸した)、元バイトの僕から借り入れるような状態では、僕に対する返済もできるはずがありません。結局、オーナーは僕にも連絡なしに突然店を閉め、それっきりになってしまいました。その後のオーナーの消息は、わかりません。
「金を貸す以外に何かできたのではないか……」という思い
資金繰りに困った挙句蒸発した、という話が身近で起きたことにショックを受けるとともに、これが零細店舗の現実か……と、暗い気持ちになったのを覚えています。同時に、自分に経営の知識やノウハウ、才覚があれば、お店を立て直すことができたのではないか……という気持ちも芽生えました。もっとも、そんなものがあったとしても、震災で受けたダメージを跳ね返せるほどのアイデアが出せたかどうかは疑問ですが……。
この体験は、その後の僕が中小企業の経営改革や、資金繰り、資金調達の仕事に関わる原点になったように思います。まだまだ自分自身がじゅうぶんな力を発揮できているような気はしませんが、仕事をしていてもふとオーナーの顔が頭をよぎることは今でもあるのです。
オーナーは元気でいるだろうか。もしオーナーに再会できて、僕が今は自分で事業をやっているという話をしたならば
「どうだ?俺の気持ちがわかるだろ?」
と、笑いながら答えてくれそうな気がします。