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頑張らない自分になるため、諦めてもよいと自分に許可を出すため、マラソンを途中でリタイアした

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末恒例のエモいブログです。2017年、神戸マラソンを途中でリタイアしました。完走率は毎年およそ97%程度なので、走りきれなかった3%の一人になった、ということですね。実はちょっとした意図があって、余力を残してリタイアしたのです。

快晴の神戸マラソン

2017年11月19日、快晴の神戸。スタート時の気温は9度。僕にとって2度めの神戸マラソン出走です。でも僕はこの時点で、リタイアすることを決めていました。理由は、ろくに練習していなくて、きつそうだからという自分勝手なもの。

「練習していなくても走れよ!落選した人に失礼だろ!」

という言葉が、自分の頭の中でも何度もよぎるのですが、それをあえてリタイアしようと思っていました。だからリタイアを決めていた理由を別の言葉で言い換えると、頑張らない自分になるため、諦めてもよいと自分に許可を出すため、と言ってもいいでしょうかね。

とはいえ、走り出すと楽しい

そうはいっても、走り出すと楽しいものです。特に大型の都市型マラソンの非日常感は格別。だいたいどこでも応援の列が途切れませんしね。でもこの時は、途中で辞めてもいいやという気持ちで走りはじめたし、ストップウォッチもスマホのランニングアプリも完全オフにしたので、僕にはプレッシャーが皆無でした。

したがって完走も目指さない。記録も目指さない。ただ「今ここを走る」という、とてもシンプルな参加になりました。だから沿道の応援してくださる方とコミュニケーションを楽しむ余裕もあって、今までとは全く違う走りができたように思います。

例えて言うと、マラソンの最初っからずっとウイニングランをしているような感じでしょうかね。

(全然ウイニングじゃないんですけどね?

ちなみに僕、2014年の神戸マラソンにも出場してます。その時はかなり走り込んだにも関わらず、30キロ地点で足が動かなくなり、結局は4時間30分程度でのゴールでした。。

さあいよいよリタイア

楽しく走ってきて「そろそろいいか」と思い、29.1キロ地点の救護所でリタイアしました。

でもですね、結構ここに至るまで葛藤があったんですよ。当初は中間点(21キロあたり)でリタイアしようと思っていたのですが、余裕があったのもあって「もうちょっと」「あとちょっと」と欲が出てしまってですね……。

もう少し正直な気持ちを言うと「97%の人が完走してるのだから、途中で止めるのはかっこ悪い」「最後までやり抜けない自分は、他人から笑われても仕方ない」「他の人が頑張っているのに、お前だけ楽をするつもりか」というような思考が、頭の中をグルグルと回っていたんですよ。

僕には何か目標を途中で投げ出すのは世間様に対してバツが悪いと考えてしまう思考のクセがあるんですよ。それがここにきて顕著に表れてきた感じでした。

それを振り切って、救護所へ駆け込みます。

救護所は閑散としています。

まだ29キロ地点だし、この日は天候も気温もよかったので、29キロ時点でリタイアする人は少なかったのでしょう。まあ、もっともリタイア率は3%にすぎないので、人が少なくて当然なんですけどね。

救護所では、計測チップが回収され、ゼッケン番号を控えられ、リタイアである旨を申告します。

救護所の人は(それが仕事だから当然なのだが)、とても体調を気にしてくれる。少し休憩することを促されます。スポーツドリンクやタオル、それから防寒シート(アルミのブランケット)などを差し出していただいきました。

そして僕はゆっくりと身体を休める。

僕以外にも数名の人が救護所でリタイアを申告していました。さすがにガチでリタイアする人は体調が悪そうで、しかもリタイアをする無念さがにじみ出ているように見えます。

救護所を後にする

回収バスに乗って帰るという手もあったのですが、バスが出るのは関門閉鎖後(この時からみて約1時間後)で、それまで待つのも寒い。救護所のスタッフさんには電車で帰ると告げて、救護所を後にしました。

この時、救護所のスタッフさんから

「電車に乗るお金はありますか?」

と聞かれた。僕はリタイアする気マンマンだったからお金を持っていたのですが、そうでない人ももちろんいるんでしょうね。

救護所を出てもレースは続いています。先ほどはあれほどに声援をくれた沿道の人達は、もはや僕には見向きもしません(目にも入らないのだろう)。

文字通り、完全なる落伍者である。

ランナーを横目に、須磨海浜公園駅を目指して歩きます。やがてランナーの姿も見えなくなると完全に空間は日常に。公道を2万人もの人が走り、見ず知らずの人から力をもらいながら走るという非日常の空間は、ごくごく簡単な手続き一つで、完全に日常空間に戻ります。

この時点でも、僕はまだ「リタイアした無能な僕」という気持ちがどこかにのこっていて、モヤモヤした気持ちになっていました?

ゴール地点へと電車で向かう

須磨海浜公園駅からJRに乗り、マラソンのゴールであるポートアイランドに向かいます。わざわざゴールまで行くのは、ゴールに僕の荷物が預けられているからです。

ポートライナーからはランナーの姿が見えて、複雑な気持ちが抜けません。

みんな爽快な顔でゴールをしているように見えます。僕だけがドロップアウトしたんだという気持ちが拭えなくて、テンションが低い……?(繰り返し言いますが、これは僕の思考のクセみたいなもの)

荷物置き場に向かいますが、そこには無情にも「一般者の入場お断り」の文字が。リタイアした僕はもはやランナーではないのかも??と思いながら、係のお姉さんに事情を話して入場。

ここらあたりでイレギュラー対応を取らざるをえないところも、落伍者ならではですね。

荷物ブースでは、完走したランナーたちがすがすがしい笑顔で、完走記念品(メダルとバスタオル)をもって荷物を探していました。こういうところにも落伍者と完走者の違いが見せつけられるわけで、なんとも言えない気持ちになる僕?

その後、着替えて自宅へと帰りました。

リタイア後に何が見えたか?

記事中にも何度か書いたのですが、リタイア後にはと「みんなが頑張っているのに、僕だけが楽をしている」というような罪悪感がつきまとってくる感じがずっとありました。

これが僕の思考のクセなんですよね。こういうことはマラソンに限らず、いろんな局面で思うよなあ……と、自分のクセについて認識ができた思いでした。

それと同時に「じゃあこれまでの人生で、何かの目標をたてて、それをやり抜いて、自分は幸せになったのか?」と自問しても、答えがでないんですよ。僕の人生の場合、何か目標を立てても「まだ足りない」「もっとやらなきゃ」という強迫観念みたいなものに追い立てられて、「もうこれでいい」と思うことがなかったからですね。

文字通り僕は自分の人生を「走り続けている」わけで、しかもゴールがどこにあるかのさえわかりません。いつかは死んでしまうので、それがゴールとも言えるのでしょうが、いつたどり着くかわからないゴールに向かって走り続けるのはとても大変なことです。その点、マラソンは42.195kmで終わることが明白で、どんなに時間がかかっても7時間くらいでゴールはできるのだから、終りが見えない分、人生マラソンのほうがキツい。

そういう観点から見ても「頑張らなくてもいい」「キツい時には諦めてもよい」と自分に許可を出すことは、長く、終わりの見えない人生マラソンでは必要なことでもあるんですよね。それを初めて自分に取り入れたこの大会は、ある意味自分の人生で画期的なことだったように思います。罪悪感はつきまったものの、とにかく走り終わったあとの身体が楽でしたしね(走っていないので当たり前なんですけどね)。

そうそう、一つ印象的なエピソードを忘れていました。

老人ホームや養護施設等の前を走るとき、そこの入居者の方々が一生懸命に応援してくださるのに涙が出そうになりました。応援してくださる方を前に、立ち止まって握手をさせてもらいました。タイムを気にしていたら、彼らの姿は目に入らなかっただろうし、目に入ったとしても立ち止まることはなかったでしょうね。

応援に力をもらえるというのはこういうことかということが、実感できた思いです。「頑張らない」「諦めてもよい」自分になれたからこそ、こういう思いを実感することができたのかもしれません。。

これが「楽しんで走る」ということかもしれません?

  • B!

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