おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村です。
週末のエモブロです。僕は20代のころ、海外就職でキャリアアップしたい!と思っていた時期がありました。そして海外で働くチャンスが巡ってきたのですが……あれだけ憧れていたにも関わらず、怖くなって逃げ出してしまいました💦そんな情けない自分の暴露話です。
「英語」をめぐって揺れ動く気持ち
突然ですが、僕は外国語大学出身です。なぜ外大に進学したかというところから話さないといけないのですが、高校時代の僕はクラスでも落ちこぼれだったんですよね。平成初期の田舎の学校ですから、成績が悪いというだけで教師から殴られたり蹴られたりしていました。今思い返せば、ひどい学校ですよね。
なんとか状況を打破できないか……と周りを見渡すと、クラスの連中は概ね英語が苦手だったんですよ。だから僕にとって勝ち目がある領域は英語だろうと安直に思い、それで(他の教科はほぼ捨てて)英語の勉強に特化していた時期があったんですよね。思惑通り英語の成績は伸びまして、その延長線上で外大に進学したというわけです。一芸に特化した自分にとっては外大くらいしか選択肢がなかった、という言い方もできます。
ところが外大には、やっぱり語学の猛者がいるんですよ。帰国子女もたくさんいましたし、「これは英語の学力では敵わない」と思い、急速に英語の熱が冷めていきます。その反面、「これからはITだろ!」ということで、急速にITへと興味が移ります。当時はITではなく「マルチメディア」って言われてましたね。
ところがですよ。その延長線でIT業界に就職すると、やっぱりそこにはITの猛者がいるんですよね😅 そうなると僕の性格では「これはITの技能では敵わない」と思うようになってきます。「こいつらと差別化できるのは英語だ!」ということで、急速に英語への熱が復活していきます。
軸がなくってブレブレだなあとこの頃の自分を振り返って思いますけど、当時の僕にとってこうした知識・技能とは、あくまでも他人と差別化する手段扱いだったんですよ。だから身を置く環境によって「他人と差別化できずに埋没してしまう」と感じると、急に関心が他のなにかに移るんですよね。そんな理由で、最初に就職したIT業界でも「海外で働きたいです」みたいなアピールを急にするようになりました。まあ、海外で働きたいアピールというか、「俺は英語ができるんだぞ。すごいだろ」というアピールをしたかったんだと思いますね。
ところが海外就職のチャンスがやってくる
ところがやがて、現実に海外で働くチャンスがやってきたわけですよ。その頃の僕は、最初に就職した会社を辞めてブラブラしていたんですが(実は最初の会社は何の考えもなしに辞めてしまっていた)、シンガポールの日系企業の現地採用職員になるというチャンスがやってきたんですよ。無職だったし、海外で働きたいアピールしていたくらいですから、渡りに船だと普通は思うでしょ?
でも、現実に海外就職のチャンスを目の当たりにすると、急に怖くなってきたんですよね。外大を卒業していたとはいえ、学生時代は英語は避けていたので、実は英語はろくに話せません(今も仕事の話は英語でできますけど雑談とかだと本当にダメですね)。海外に行ってしまうと、日本にいる友達との縁も「去るもの日々に疎し」になってしまいます。海外って治安はどうなの?という心配も尽きません。まあシンガポールは大丈夫なんですけどね。
そして悩んだ挙げ句……というか、もう最初から結論は出ていたのでしょうけど、シンガポールの日系法人の現地採用の職は辞退をしてしまいました。海外就職から逃げ出した根本的な理由は、今となれば明白です。海外に行けば自分の英語の技能が低いことを突きつけられるので、それが怖かったんですよ。差別化できずにまたブレてしまうことが、実はよくわかっていたのだと思います。
「人と比べる」からこんなにぶれてしまう
こうして改めて文字にすると、自分の考えが軸もなく二転三転しているのがよくわかりますね😅
今振り返って思うのは、これも全て「人と比べる」からなんですよ。高校生の時も、大学生のときも、就職したときも、「他人と差別化する」ってことに異常とも言えるこだわりがあったんですよね。確かに「差別化」とは、経営管理の用語としては肯定的なニュアンスがありますけれども、僕の体験のように二転三転したあげく、何事も果たさないというオチになってしまうこともあるわけでしてね。
もともとは英語も、単なる差別化のための道具ではなかったんですよ。実は中学生の頃に好きだった女の子が帰国子女で、その子に憧れていて(お近づきになりたい一心で)英語を勉強していた時期があったんですよ。まあその子とはお近づきにもなれずに終わってしまうのですが、映画を見たり洋楽を聴いたりと、いろんな面で英語は僕の人生を豊かにしてくれました。そうした「何の役にも立たないけどただ好きだ」というスタンスで英語という技能に向かい合うという選択肢もあったはずです。
ところが僕はアホなので、それをすぐに役に立つ道具、他者との差別化に使える道具として扱ってしまうのです。差別化に使うということは、必然的に「人と比べる」という沼に足を踏み入れることになります。人と比べるから落ち込むし、妬むし、ぶれてしまいます。せっかく身につけた技能に振り回されるのは、本末転倒ではないでしょうかね。
そういうわけで、今は仕事でも英語のことはアピールしませんし、たまにYouTubeで海外クリエイターの動画(主にはガジェット紹介動画とかゲーム実況動画ですけど)を見て楽しむくらいにとどめています。不思議なもので、真剣に英語を理解しようと思うと聞き取れないけれども、どうでもいいやと思っているとまずまず聞き取れるような気がするんですよねえ。
技能というのは確かに大切なんですけど、こだわりすぎると辛くなるんですよ、僕の場合は。40代を過ぎて、ようやく自分の技能に対して距離感を保ちながら付き合うことができるようになった気がします。