おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村です。
今年最後の週末エモブロです。今年はコロナ禍で、悲観したり自信をなくしたりしがちな1年だったのではないかと思います。でも、悲観や自信がないことって、本当にいけないことですかね?
自信過剰だけど本当は自信のない僕
僕は昔は自信過剰だったんですよ。もっと言うと、たいした能力もないのに「自分が優れている」と信じ切っていたといいましょうかね。
具体的な話をすると、12年前のことですが、僕が初めて診断士の試験を受けたときのことです。最初の受験の時は不合格だったんですよね。この時点で自分の能力のなさは折り紙付きなんですけど、なぜかそのことを受け止められないのです。ネットで診断士に合格した人の喜びの声などを見ていると、ふつふつと怒りが湧いて始末です。「自分のほうが優秀なのに、なぜ自分より劣っているあの人が合格するのか。間違っている。許せない!」とか思っちゃうんですよね。自信過剰ですよね💦
端的に言うと『自分が優れていると思っていないければ死んでしまう病』にかかっていたのだと思います。
まあもっとも、診断士の資格を取ろうと思った動機がよこしまなんですけどね。「自分は優れている」という"保証書"が欲しくて、資格を取りたかったんですよね。まあそういう"保証書"を欲する時点で、実は自信がなかったともいえるわけですけど。
人の70%は自信過剰
ユニバーシティカレッジロンドン(UCL)とコロンビア大学のビジネス心理学の教授であるTomasChamorro-Premuzicによると、人の70%は自信過剰なんだそうです。彼は40カ国以上の人々を対象とした調査をした結果、能力と自信の相関関係は非常に弱いものしかなく、70%もの人が自信過剰であることを明らかにしました。
これを見たとき、正直に言うと「ああ、自分は能力があると思い込みたいのは僕だけではなかったんだ」とホッとしました😅こんなことで安心するな、と言われそうですけど。
自信過剰は実は危険性をはらんでいないか
でも、自信過剰って実はヤバいんじゃないでしょうかね。僕の試験不合格のときの例でも書きましたけど、妙な自信を持っていると、それが脅かされたときに自分を守るため、他者へ攻撃が向いてしまうんですよね。とても厄介な性格です。
それだけではなく、TomasChamorro-Premuzic氏は、自信過剰だと事故の可能性や、投資失敗の可能性、中毒の危険性等を低く見積もる傾向にあるといいます。自分は事故など起こさないはずだ、自分は優秀だから投資にも成功するはずだ、アルコールや薬物も自分ならすぐに止められるはずだ、と思っちゃうんですよね。
自信という言葉は肯定的に受け止められがちですが、自分を正しく見積もることができない状態はリスクとも言えます。これはコロナ禍でのリスク見積もりにも関係する話で、「自分はコロナにはかからないだろう」「自分はコロナにかかっても(若いから)無症状か軽症に違いない」と思い込んでしまうことで、行動が抑制できず、結果として感染を拡大してしまう可能性があります。
「自分はそれほど大した人間ではない」という自己評価を受け入れる
そう思うと、悲観的であることや、自信がないという状態も、まんざら悪いわけではないという気がしてきます。もっとも、上記の表でいう左上の「完璧主義者・自己批判家」では生きづらいでしょうけど、左下の「現実的な悲観家」でもいいんですよね。自分には大した能力はないし、自信もない。それが自分の正しい姿なんだからいいじゃないかというのを受け入れられるようであれば、分別を超えたハイリスクな行動もしないでしょうし、他人に対して攻撃的になることもないでしょう。「大した能力もなく自信もない僕」という認識であっても、それはそれで人生の役に立つこともある訳ですよ。
コロナ禍で、将来に悲観したり自信をなくしたりしがちになった人も多いと思います。僕もそうでした。独立・開業して初めての大型不況だったので、ドキドキしっぱなしの1年でした。でもそれでもいいんですよね。自分にはこの荒波を乗り越えるほどの大した能力はないので、自信がなく悲観にくれることは自然な姿なのですから。