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役に立つ何かにしか価値を認めないという「コスパ至上主義」が僕自身を苦しめていた

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。とあるインフルエンサーが炎上して叩かれていますが、僕は彼に後ろ指を指すことができません。というのもつい最近まで、僕自身が彼と同じような考えの持ち主だったからなんですよ。

役に立つ何かにしか価値を認めないという「コスパ至上主義」

昔の自分を見ているようで居心地が悪いので、あまり本件についての記事などは読んでいないのですが、たまたま目にしたところによると、どうも下記のようなことを彼は動画で話していたんですよね。

生活保護の人生きてても僕は別に得しない。

猫が道端で伸びてたらかわいいもんだけど、ホームレスのおっさんが伸びてるとさ、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろうなって思うもんね。

こういう発言に同情も共感も賛同もしないんですけど、「ああ、いかにも昔の僕が言いそうなことだなあ」と、ソワソワした気持ちが湧き上がってくるのがわかります。

この発言からは、”役に立たない人”には価値がない、"役に立つ人"にしか価値を認めないという考えが見て取れます。もう少し違った言い方をするとなると、コストばかりかかって生産に寄与しないことを悪とみなす「コスパ至上主義」とでも言うんですかね。

「コスパ至上主義」は社会全体に浸透している

この「コスパ至上主義」という価値観は社会全体に浸透しているんじゃないかと思うんですよね。身近なところで言うと、営利企業は最大限の利益をあげるため、コストを絞りつつ売上を高めようとします。そうしたところから、非正規雇用化やサービス残業で、人件費を下げつつ利益を最大化しようとするブラック企業が生まれてくるわけですよね。もうちょっと極端な話になれば、性的マイノリティーには生産性がないと述べた政治家もいましたし、医療コストのかかる透析患者を罵る元アナウンサーもいました。障害者は役に立たないからと大量殺人におよんだ事件もありましたね。

そこまで極端ではないにしても、直近ではオリンピック開催・中止の是非は経済効果や損失で測られようとしていました。国の補助金だって同じですよね。補助金をもらって投資をしても、国が期待をする付加価値額を出すような計画を作らなければ、そもそも補助金の申請さえできませんからね。「コスパの悪い事業計画はお断り」と、国からダメ出しされているわけです。

とまあこんな感じで、我々は生産性の有無で値踏みをされる時代を生きているといってもいいんじゃないかと思うんですよ。インフルエンサーの彼も、かつての僕も、こういう時代と社会が生んだといってもよいでしょう。

インフルエンサーって「コスパ至上主義」の完全勝者だと思うんですよね。YouTuberとかカリスマブロガーみたいな事業には仕入はありません。莫大な開発費、設備費のような固定費があるわけでもありません。チャンネル登録者数、再生回数、PV数が増えても、運営にかかる人件費などの費用はそれほど増大しませんから、客がつけばつくほど生産性が向上します。いわゆる、収穫逓増モデルというヤツです。

こうしたモデルによって「コスパ」が向上し、僅かな元手で大金を手にするわけです。「コスパ至上主義」の社会において、コスパのよい収入源を手に入れたわけですから、インフルエンサーである彼には、自分はコスパ至上主義における競争の勝者という自覚があるんじゃないかと思います。

コスパ至上主義は実は僕自身を苦しめていた

かくいう僕も、かつては「コスパ至上主義者」でした。自分の価値を年収や売上高をものさしにして測ろうとしていました。ジョブホッピングして外資系企業へ転職した動機も、「年収が高ければ、他人からすごいと言ってもらえるから」というのが正直な本音でしたしね。診断士の受験生だったころも、口先では「中小企業に役立つためには知識の習得を惜しまない。資格の取得がゴールではない」などとカッコつけて言っておきながら、本音はいかに投資をせず、短い期間で合格するかということしか頭になかったですね。

仕事においても、コストばかりかかって成果のあげられないおじさん社員を心底軽蔑してました。そんな「コスパの悪いおじさん」のコストを、生産性の高い自分が払ってやっているのだというおごりというか被害者意識のようなものもあって、正義を振りかざしておじさんを攻撃をしていましたからね。

でも、40歳を過ぎてうつ病になったんですよ。まったく働く意欲がなくなり、僕自身が「コストばかりかかり成果の上げられないおじさん」になっちゃったんですよね。コスパ至上主義者としての「あるべき姿」から脱落してしまったように感じていました。でも、今思えば幸いなことに「自分はうつになるような弱い人間ではない」という気持ちは芽生えずに、存外すんなりと「ああ、脱落しちゃったな」と、脱落した自分を受け入れられたんですよね。昔はあんなに「役にたたない人間には価値がない」と思っていたのに、いざ自分がそうなるとあっさりと手のひらを返したように考えが変わりました。

調子がいいヤツといわれればそれまでなんでしょうけど、実はうつになったときに、コスパ至上主義が自分を苦しめていたことに気がついたんじゃないかなとも思っています。(もしくはうすうす気がついていたのかもしれない)

僕の心底では「本当の僕は役に立たない人間なんだ」「コスパの低い人間なんだ」という恐怖心というか、コンプレックスのようなものがあったのだろうと思います。でも対外的にそれを表明できないので(自分の評価が下がってしまうかもしれないので)強がっていたんですよね。

「資格を目指して勉強してます」みたいこと言って目の前の合理性、損得勘定を追い求めているうちは周囲からも評価をされますから、そういったコンプレックスのある弱い自分さえも否定しつつ、そして自分の弱さを映す鏡となったおじさんたちを攻撃していたのだろうと思います。おじさんにも悪いことをしたなあと思う一方で、他ならぬ自分自身にもかわいそうなことをしたと思います。

そうした経験を経て今思うのは、コストは悪ではないし、何かの役に立とうが立つまいが、人には等しく価値があるということですね。きれいごとですかね?😊

  • B!

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