おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。娘氏と一緒に子供向けのアニメや特撮モノをよく見るんですけど、「諦めない」「最後までやり抜く」みたいなセリフがよく出てくるんですよね。僕はそういうセリフを耳にすると、自分の心がズキズキと痛んじゃうんですよね。
まったくなんの根拠もない、僕の勝手な思い込みなんですけど、我々はどうも一つのことに専念してその道を極めることを良しとする傾向があるんじゃないかと思うんですよね。茶道とか剣道、柔道、弓道とか、「○○道」ってたくさんあるじゃないですか。こうしたものの一つひとつは芸術や武術の専門技能なんですけど、「道」という言葉には精神修養的な意味合いもあって、たどるべき一本道を脇目も振らずにあるき続けるものというニュアンスもあるんじゃないかと思うんですよ。「剣道一筋○年」というのは賛美されますけど、「剣道もやったし柔道もやったし、それからえーと、何があったっけ?あっ、弓道もやったことがあるな」というのは、あまり賛美されないんじゃないかな。
そして「なにかの道を極める」という理想の姿の裏側には、「極めるに至るまでは諦めてはいけない」「逃げ出してはいけない」というニュアンスも垣間見えます。
冒頭の話に戻ると、子どもに「諦めない心をもってほしい」と思うのは親としての人情でしょうし、僕も気持ちはよくわかります。確かに人生には「ここで諦めたらダメだ」という局面がしばしば訪れます。なので「諦めない心を持ってほしい」という親の願いが、子供向けのアニメや特撮モノで強調されているように思います。子供向けの番組であっても本当のターゲットは親であり、親が肯定しそうな価値観を作品に埋め込んでいるのだと思います。まあ子供向けに限った話ではありませんね。昔のヒット曲にだってありますもんね。「負けないで~もう少し~最後まで~走りぬーけてー」という歌が。だからやはり「一つのことに専念し、その道を極める」ことが望ましい、そのためには「諦めないこと」「負けないこと」が大事だと、我々は思う傾向があるのでしょう。そしてそれ自体が悪いと言うつもりはさらさらありません。
でも、僕自身の人生を振り返ると、諦めたり、逃げ出したり、極める前に道を変えたりばかりの人生なんですよね。もともと英語が好きで、外大にまで行ったのに、外大で英語に飽きてしまって(というか、どう頑張っても帰国子女のようにはなれないとわかってしまって)、今はご覧のように英語なんて全く使わない仕事をやっています。その仕事だって4回も転職してますし、そのうち2回は携わる業界も変えています。スポーツも続けるどころか、ジムに入会しても2~3回くらいしか行かずに辞めてしまうことの繰り返しですよ。「一つのことに専念し、その道を極める」には程遠い人生を僕は歩んでいるわけです。そんなダメ人間の僕が、子供と一緒にアニメを見ていて、「絶対に諦めない!!」という熱いセリフを口にして戦い続ける主人公を見ると、申し訳ない気持ちでいっぱいになるんですよね。諦めてばかりでごめんなさい、恥ずかしいですよね、って。
そんなダメ人間の僕に言い訳の機会を与えてほしいんですけど、いま我々が生きるこの世の中は「一つのことに専念し、その道を極める」ことが、過去に比べて難しくなっているんじゃないかと思うんですよね。例えば江戸時代のように、農民に生まれた自分は農民にしかなれないし武士は武士しかなれない、という世の中であれば、一つのことに専念せざるを得ません。しかし今は(問題はたくさんあるにせよ建前上は)選択肢はたくさんあるし、技術の進歩にともなって新しい「道」が次から次へと現れてきます。15年前はスマホアプリの開発なんていう仕事は皆無だったにもかかわらず、2020年のAppleのApp Storeの売上高は7.5兆円ですよ。面白そうな道や、儲かりそうな道が目の前にあれば、心が揺さぶられて当然です。
さらには「道を極める」難易度も上がっているんじゃないかと思います。例えばプロ野球だと、僕が子供の頃のピッチャーは、変化球はせいぜい3種類程度くらいしか投げていませんでした。でも今のピッチャーは5種類、6種類を平気で投げ分けます。そして打者もそれに対応できるように技術を磨いていますから、投手も打者も昔よりレベルアップしているんじゃないかと思います。さらに今はいろんなテクノロジーがあって、プレイをデータ分析したり、AIで予測をしたりすることも可能ですから、そうしたテクノロジーを駆使できないと道を極めることが難しい時代になったとも言えると思います。
この多様化する社会において、「一つのことに専念し、その道を極める」ことは、かつてよりも多大な困難と出費がかかるのではないか、というのが僕の仮説です。まあ仮説といっても、そのうち半分くらいはダメな自分の言い訳でもありますけれども、どうあがいても難しくて成果がでそうにないものは、諦めたり投げ出して違う道を選んだりしてもいいんじゃないかと思うんですよね。
僕の経験上ですが、「道を極める」ための努力よりもしんどかったのは「何一つ極めることができなかったダメな自分」という劣等感を抱えて生きることでした。「道を極める」ことの難易度が上がっているとすれば、挫折のリスクも上がっているはずです。挫折をしても自分を必要以上に卑下しないようセーフティネットを張ってあげるのも、親の役割じゃないかと思うんですよね。確かに子どもたちに「諦めない心を持ってほしい」いう気持ちには共感できますけれども、僕としては「諦めたり逃げ出しても、自分は決してダメなんかじゃないと思う心」も持ってほしいなあと、子どもと一緒にアニメを見ていて思うのです。