おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。今の世の中は「怒り」をコントロールすることに価値に置かれているんじゃないかという気がします。「アンガーマネジメント」っていう言葉があることからも伺いしれますよね。でも本当に「怒り」はコントロールしないといけないんですかね?
「怒り」を全肯定しているわけではない
もちろん「怒り」を全肯定しているわけじゃないんですよ。怒っている人は僕も苦手ですし。あまりにも「怒り」「不機嫌」の度合いが強い人を前にすると、こっちも萎縮して本来の能力が発揮できなくなり、信じられないミスをしてしまうことがあるんですよね。職場とか電車とかの公共の場で、誰かが怒りを撒き散らしているのを見るのは不快ですし、そういう場には1秒たりとていたくありません。
だからといって「怒り」を我慢し、ないものにするというのはちょっと違うんじゃないかと思うんですよね。僕の経験から言うと、怒りを我慢しすぎると、はけ口を求めて、怒りを表出しやすい相手に向かうんですよ。配偶者様とか娘氏とかにね。何の科学的根拠もないんですけど、怒りには質量保存の法則のようなものがあって、湧き上がった怒りの質量と同じ程度のものをどこかに発出しないと、人はおかしくなっちゃうんじゃないかと思うんですよ。これは排泄と似たようなものです。排泄も感情も、自分の意志とは関係なく湧き上がってくるものです。排泄も我慢はできても、無いものにはできません。どこか適切で安全な場所で排泄をしないと、あってはならない場所で粗相してしまいますからね。
「怒り」を我慢することはコントロールやマネジメントではないのでは
「怒り」を我慢することは、コントロールやマネジメントとは呼ばないんじゃないかと思うんですよね。怒りをコントロールするということはむしろ、適切な場所で怒りを表出することではないかと思います。排泄を適切な場所(トイレ)でするのと同じようなイメージですね。僕のケースですけど、セラピーやカウンセリング、精神科クリニック、自助グループなどが、溜め込んだ怒りを表出できる適切な場所だと思っています。本当なら怒りを抱く相手に対して怒りをぶつけられたらいいんでしょうけど、言えばカドがたちますし、自分の社会における立場も悪くなる可能性があるので、そういう安全な場所で「排泄」するのが望ましいんじゃないかと思うんですよ。単なる我慢ではなく、こうして適切な場所で発出することが「マネジメント」であり「コントロール」ではないでしょうか。
「怒り」を社会から追放してはならない
世間で「アンガーマネジメント」と呼ばれているメソッドは、怒りは6秒間我慢すれば低減すると言っています。ただしこれには科学的根拠はありません(名古屋大学大学院情報学研究科准教授の川合伸幸先生によると)。怒りは、動物のなわばり防衛行動に起源を持つともいわれ、なわばりや自分の所有物を保護すること、つまり自らの生存に直接関わる反応と関係するとされるという研究もあります(川合, 2017)。怒りは動物としての本能のようなもので、「怒りたい」という意思を持つこともなく自然に湧き上がってくる感情ですから、理性で我慢するのにも限界があるでしょう。だからといって、撒き散らして良いということはなく、やはり適切な場所で発出することが望ましいと思います。でも誰も「どうやって怒るのがよいか」を教えてくれないんですよね。だって社会で「怒り」はないものとして扱われがちですから。
他人の「怒り」を見るのが不快だからといって「怒り」を社会から追放し、ないものとして扱ってしまうと、余計にいびつな形で(例えばDVや外国人へのヘイトスピーチ、SNSでの誹謗中傷など)現れるのではないかと思います。
「怒り」をただ無視するのではなく、向き合い、受け入れながら、適切に表出することこそが、マネジメントでありコントロールなんじゃないですかね。