おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。25年前のちょうど今頃、卒業旅行でタイ・ラオス・ベトナムを一人で旅行したんですよ。旅にでも出たら、不甲斐ない自分を変えられるかな?と思ったんですけど、そんな都合のいいことは簡単には起きないんですよね。
25年前の一人旅
その時、どういうルートをたどったかというと、だいたいこんなルートでした。
まず成田からバンコクのドンムアン空港に降り立ち、アユタヤ、チェンマイと移動して、チェンコンからメコン川を渡ってラオスへと入国しました。
ラオスのフェイサイからはメコン川に沿って、ルアンパバン、ビエンチャン、サバナケットへと移り、そしてラオスとベトナムの国境を越え、ベトナム中部の古都、フエを目指しました。そこから鉄道でホーチミンシティを目指すという、全3週間の行程でした。
なぜこのルートを選んだのか?ということは、旅の中で知り合った人からも何度か尋ねられたことだったけれど、その時はうまく説明することができなかったんですよね。
旅に出る前、外すことのできない大前提として考えていたのは、陸路で国境を越える、ということでした。
日本に住んでいると、外国へ行くためには飛行機か、もしくは船を使うしか手段がありません。飛行機や船で移動をするということには、出発地と到着地が空間的に断絶しているようなイメージがあったんですよね。たとえ、ここと向こうの間に国境線があったとしても、空間は連続しているということを、納得したかったんだと思います。
陸路で国境を越えると言っても選択肢は山程あるわけですが、ベトナムに行こう、というのも、ほとんど直感的に決めたように思います。大学生の時、誰かから聞いたんですよね。ベトナムはとても食べ物が豊富で、治安もよく、駅で一人で寝ていてもなんてことはない、といった話を。ぼくはその話を、少し意外に感じながら聞いていました。ベトナムについては、ネガティブなイメージしかもっていなかったからです。当時は貧困と混乱と絶望にあふれているという印象しかもっていなかったんですよ。きっとベトナム戦争の印象が強かったんじゃないかなと思うんですが、それほどまでにぼくの固定観念と実像が異なるならば、一度この目で見てやろうじゃないか、という思いがあったんですよね。
というのは建て前で、本当は一人旅なんてするつもりはなかった
……とまあ、もっともらしい理由を並べましたが、本当は一人旅の卒業旅行なんてものに行くつもりはまったくなかったんですよ。25年前の今頃はすごく落ち込んでいた時期でもありました。就活がうまく行かずに親のコネに頼った選択をしてしまったことや、好きだった女性に振られたということもありました。いろんな面で忸怩たる思いを抱いていて、その悔恨から、そんな不甲斐ない自分を変えたいという強い衝動があったんですよ。
その時に――まったく確信はなく、藁にもすがるような思いだったのだけれど――旅に出れば、何かが変わるのではないかという気がしたんですよね。折しも当時は、猿岩石のヒッチハイクがブームになっていましたから、その影響も大きかったのだと思います。
「旅にでて自分が変わることなんてない」とは思うものの
たった3週間、一人で旅行したからと言って、そうそう自分が簡単に変わるものではないとは思います。実際にその後、不甲斐ない自分が変わったかというとそんなことはなく、その後の20代のほとんどは「不甲斐ない自分をごまかしながら生きる」というのがテーマだったように思います。
自分が変わるなんていう大それたことは起きなかったですけど、その3週間はいろいろと気づくことがあったんですよね。今でも思い出すのは、ラオスのビエンチャンで知り合った、ラオス人の大学院生のことです。彼は大学院で土木を学んでいたんですが、将来は官僚になってラオスを導いていきたいとぼくに語っていました。結構びっくりしたんですよね。少なくとも当時、ぼくのまわりには「国を導いていきたい」なんてことをいう友人はいませんでしたから。
20代の頃のぼくは、彼のような明確な将来像を持っていませんでした。大学で学んだことを活かせる仕事についたわけではないし、その仕事も「大企業でなければ自分の体裁が悪い」と思い込んで、親のコネを使って得たものであったわけです。ラオスの大学院生の彼が将来像を描いて、それにそって人生を歩んでいるのを見て、ああ、自分は本当に迷ってばかりで、地に足がついていないんだと余計に自信をなくしたものでした。
いや、ぼくにだって、稚拙ではありましたが、子どものころには「こうなりたい」という将来像が確かにありました。それを叶えるために外大にまで行ったはずなんですよ。それなのに、あれほど切実だった将来像が、すっかり失われていることにその時に気付いたのです。すっかり失われているだけならまだしも、「大企業でなければ自分の体裁が悪い」みたいな狭小な意識へといつの間にか変わっていた自分に愕然としたのです。
ラオスのエリートである彼を見て、「不甲斐ない自分の本当の原因は、ぼく自身が将来像をないがしろにしていたことなんじゃないか」とも思ったものです。そんなことを思いながらも、その後のぼくは組織にも馴染めず、いきあたりばったりのように転職を繰り返して、挙句の果てはこんな因果な商売をしているわけです。まあ今では「いきあたりばったりもそんなに悪くない」とは思っているのですけどね。
そんなエピソードがあった25年前の一人旅は、いまでも「明確な将来像を定めて、それに沿った生き方があったかもしれない自分」を想像する一つのきっかけになっています。旅で人生は変わりませんでしたけど、自分の人生における多少のスパイスにはなっているかな?と思っています😊