おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
連休なのでプチ山歩きしてきました。芦屋の城山は、以前にも戦国時代の山城があったことを紹介しましたが、実は第二次世界大戦中に高射砲陣地があったのだそうです。現場レポ&インターネットでわかることを調べました。
芦屋の城山はここ
芦屋の城山は、芦屋川右岸にある標高250m程度の山です。ロックガーデンという六甲でも有名な場所へ向かう登山道の脇にありますが、城山を目指す人は地元の人以外はそんなにいないでしょう。
写真で遠巻きに見るとこんな山です。ここに第二次世界大戦中、高射砲陣地があったのだそうです。それはインターネットで調べたらすぐわかりますが、地元のお年寄りの情報などからもよく聞かれることです。
城山にあったのは海軍の高角砲陣地ではないか
ぼくの推定をさきにいうと、城山にあったのは海軍の高角砲陣地ではないかと思います。理由は、当時神戸・阪神間の防空を担っていた陸軍高射第123連隊および第122連隊の配置図には、城山の施設が記載されていないこと(高射砲陣地と防空砲台(Anti Aircraft Battery)というブログ?を参照)です。まあもしかしたら、終戦時に資料を焼却してしまい、陸軍の記録が残っていないからかもしれませんが。
もう一つ理由があるとすると、深江浜に海軍の高角砲陣地があったからです。神戸深江生活文化史料館の史料では、次のように書かれています。
高橋の港を右に見て海岸付近に突き当たったところから、東に向って防潮堤が伸びています。ここにある海への開口部は、深江の海岸に造られた五つの開口部のひとつで一番西に位置するものです。開口部は海に向って一・五Mほどの幅で開かれて 海側の一○段ばかりの階段を下りれば砂浜におり立つことができます。(中略)この地には旧日本海軍の対空砲が据えられた高射砲陣地(海軍では高角砲という)がありました。戦中を知る人は「高射砲陣地があって海軍の兵隊さんがいた」といいます。この海岸のすぐ近くに海軍の航空機を製作していた川西航空機甲南工場があり、その防御のために設けられた陣地です。
高角砲が設置されたのは深江浜ですが、城山には海軍の高角砲陣地(聴音施設か探照施設)であった可能性があると思っています。もう少し想像の翼を広げるとすると、聴音施設兼監視施設だったんじゃないですかね。まああくまでも推測ですけどね。
現場に残る塹壕跡
城山の頂上付近には、戦中に掘られたとみられる塹壕跡があります。両脇が高く、真ん中がくぼんでいるのがわかります。(この塹壕のようなものが2本並行してあります)。
戦国時代の山城の堀跡にしては明瞭です。この遺構は戦国時代の遺構ではなく、第二次世界大戦時に軍が高射砲施設を建設した際の塹壕跡ではないかという話もあります。(詳細は不明のようですが)
見晴らしがよいといことは監視・聴音にもってこい
この城山、とても見晴らしがいいんですよ。次の写真のように、阪神間の浜側が丸見えです。こうした眺望のよさから、戦国時代には山城が作られたのだと思われます。越水城の附城だったようですけど、西から進軍してくる勢をここで見つけることができますからね。
また、NHKとサンテレビの中継施設もあります。見晴らしがいいということは、遮るものもないので、電波の通りもいいですからね。
こうした点から、高角砲陣地が構築されたのだと思います。戦国時代、第二次世界大戦中、そして現代と、城山はずっとその見晴らしのよさを生かした施設が使われているんですね。