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「恨み」の気持ちの根底には「甘え」がある

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。皆さんには恨んでいる人はいますか?ぼくには何人かいます。もう20年前とか30年前とかの知人にもいますが、今でもたまに思い出してムカムカしてます。でも「恨み」の気持ちって「甘え」からきているって知ってました?

『甘えの構造』

精神科医で東大名誉教授の土居健郎さんは、『甘えの構造』という有名な本を著しています。その中で土井さんは次のように述べています。

うらむのは甘えが拒絶されたということで相手に敵意を向けることであるが、この敵意は憎むという場合よりも、もっと纏綿※としたところがあり、それだけ密接に甘えの心理に密着している

※筆者注 「てんめん」と読む。複雑に入り組んでいること。

土居健郎『「甘え」の構造(増補普及版)』弘文堂、2007年、47頁

どうですかね?いきなり「うらむのは甘えが拒絶されたからだ」と言われても、ピンと来ない人もいるんじゃないでしょうか。では「甘え」という言葉を「期待」に変えてみたらどうでしょうか。「期待」とは、あてにして、心の中で待ちもうけることですが、期待が外れると恨みが生じる、ということですね。例えば「食べ物の恨みは恐ろしい」といいますが、自分が食べられるだろうと思っていた美味しそうなごちそう(=期待)を、誰かに食べられてしまった(期待の拒絶)ようなときは、恨む気持ちが起きますよね。

この「期待」は食べ物だけに当てはまるものではないでしょう。信頼していた人から裏切られたり、約束していたことを反故にされたり、認めてほしい人に認めてもらえなかったりという場合にも「うらみ」が起きそうです。もう少し抽象的に言うと、誰かに受け入れてほしい、認めてほしい、信頼してほしい、好きになってほしいという「期待(=甘え)」の気持ちが拒絶された時に、「うらみ」が起きるということでしょう。

ぼく個人のうらみ体験としては、これに当てはまることは数多くあります(情けないエピソードばかりなので具体的には書きませんけど)。

うらみの気持ちは「不健全な被害者意識」とも言える

しかしそもそも誰かに受け入れてほしい、認めてほしい、信頼してほしい、好きになってほしいという「期待」は、こちらが勝手に期待していることでもあります。特に恋愛などは顕著で、勝手な思い込みで相手のことを好きになります。ぼくが勝手にあの人を好きになったからといって、あの人がぼくの期待に応えてあげる筋合いなんて本当はないんですよ。でも振られると「なんで振り向いてくれないんだ」とうらみに思ってしまうわけです(あたかもぼくの過去にそういう思い出があったかのような言い草)。一方的に被害者意識を持っているといっても過言ではありません。

でも、誰かに拒絶されたからといって、皆が皆、うらみに思うわけでもないでしょう。うらみに思ったとしても、ぼくのように20年前とか30年前とか出来事をいまだにうらみに思っているというのも怖い話です。そういう点では、「うらみの気持ちを抱きやすい人」と「そうでない人」がいるという、個人差の問題でもあるのかもしれません。ぼくは断然「うらみの気持ちを抱きやすい人」なんですが、期待に応えてもらえなかったということが、被害者意識に直結している感じがあるんですよね。これは認知のゆがみでもあると思います。

きっとぼくは、人から見捨てられること、嫌われることを心の底から恐れているのだと思います。だから自分の期待(誰かに受け入れられたい気持ち)が満たされるかどうかの一点にしか関心がなく、相手がぼくの期待に応える筋合いなんてないという事実を信じたくないんだろうと思います。

あの人はぼくの期待に応えるべきだ。あの人はぼくの期待に応えなければならない。なぜなら、あの人がぼくの期待に応えなければ、ぼくは見捨てられるからだ。それだけは絶対に受け入れられない――そんな極端な思考をしているので、うらみを抱きやすいのだろうと思います。ぼくのようにうらみを抱く人は、孤独感と無力感に苛まれていて、人を信頼して健全に甘えることができないんですよね。

「うらみ」を抱くのは自分の問題

甘えるのも期待するのも、相手の意思とは無関係に勝手にぼくがやっていることです。「誰かはぼくの期待に応えるべき」と思っているのも、ぼく自身です。期待に応えてもらえなかったからと被害者意識をつのらせているのも、ほかならぬ自分なのです。期待に応えるかどうかはその人次第、という成熟した人間関係を想像できない自分の幼稚さが原因です。そういう意味では、「うらみ」を抱くのは、拒絶をした相手にあるのではなく、完全に自分の問題なんですよね。

じゃあどうすれば「うらみ」を抱かなくなるか、というと、これは簡単にはいかないでしょう。逆説的ですけど、うらむのを無理に止めなくてもいい、と思うことも一つの方法ではないかと思います。その代わり、うらむ自分を自分で受け入れる、認めてあげると言えばいいんでしょうかね。

つまり「誰かをうらむのを止めたい。でも止められずに苦しんでいる」ということを、自分自身で受け止めてあげるということです。

ただし、うらむことによって引き起こされる結果については自分で責任を持たなければなりませんけどね。

さあ、誰かをうらむ自分を自分で受け止めてあげられますかねえ?ええ、きっとできますよ。だって自分なんだもん。

飛躍を感じるかもしれませんが、「うらみ」を抱いてしまうのは、自分が自分に期待をしていないからかもしれません、自分に期待をしていないから他人に期待をしてしまうんですよね。もっと自分自身を信頼して、自分に期待をして、他人に期待をしなくても(他人が期待に応えてくれなくても)自分は大丈夫だという、新たな回路を自分の中に作るしかないのでしょう。

  • B!

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