おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロ&失敗談告白です。一般論を助言して、クライアントの社長を激怒させてしまったことがありました。100%ぼくがわるいんですけど、実はこの件、AV監督と組織心理学の教授からの「怒られ案件」でもあるんですよ。
「何も知らないくせにわかったようなことをいうな!」と社長に言われた話
ある製造業に5Sの支援をしていたときのことですが、何年も動いていない不良在庫を抱えていたことがわかったんです。しかもその不良在庫は処分をせず、なんとかその在庫を販売できるよう、営業担当者にハッパをかけているんだそうです。
でも一般的に不良在庫は処分(破棄)をする、というのがセオリーです。だからぼくが「破棄すればいいんじゃないですか?」と気軽な気持ちでいったら、社長は顔色を変えて声を荒らげました。
「そんなことができるんだったら、とっくにやってる!何も知らないくせにわかったようなことをいうな!」と。
話をよく聞くと、一度税務調査が入ったときに、在庫の廃棄損を利益操作じゃないかと疑われたことがあるそうなんですよね。それで社長は、不良在庫の廃棄を慎重になっていたというわけです。いや、廃棄をした理由をちゃんと記録しておけば別に在庫を廃棄してもいいんですが、経営者の心理として慎重になる気持ちも当然でしょう。ぼくは「在庫処分をためらうのはなにか事情があるかもしれない」という想像を働かせることをせず、一般論である「不良在庫は処分(廃棄)すべき」を押し付けてしまっていたんですね。
同じ土俵に乗ることの重要性
突然ですが、ここで紹介したいのが、AV監督で作家である二村ヒトシ監督の『すべてはモテるためである』という書籍の一節です。なんでお前がそんな本を読んでるの?キモチワルイなあという批判は甘んじて受けますが、この本は単なる「モテテクニック本」ではなく、生き方を啓蒙してくれる人生哲学本だと僕は思っています。
その本に、次のような一節があります。
あなたが誰であろうと、あなたは断じて【なにか特別な人間】ではありまえん。もしも「なんらかの才能」があるのだとしても「なにか素晴らしい技術」を持っているんだとしても、なにか大きな仕事を世の中のためにすでになしとげた人だったとしても、なにかのいきさつであなたの名前があなたの知らない人々の記憶にも残っているとしても、それでもあなたは【特別な人】じゃない。
その人間が「特別かどうか」を決めることができるのは、本人じゃないからです。(中略)それを決めることができるのは、その人がそのときそのときで面とむかってる「相手」なんです。
もっとかんたんに言うと(中略)その人が【あなたと同じ土俵に乗ってくれてる人】です。
(中略)
相手がそうされて本当に嬉しいかどうか考えないまま、とつぜん高価なプレゼントをあげたり、とつぜん名前を呼び捨てにして愛称で呼び始めたり、あなたにしてみれば「愛情の表明」のつもりでしたことが、あなたにまだ行為を持ってない相手にとってはエラソーに感じられるんです。それが「同じ土俵に乗ってない」ってことです。彼女にしてみれば、かなりキモチワルイことです。
(『すべてはモテるためである』二村ヒトシ,文庫ぎんが堂,電子書籍版61~62ページより引用)
いくらぼくが「コンサルタント」であり、国家資格である「中小企業診断士」という資格保持者であったとしても、それが特別なのかどうかを決めるのは目の前の相手です。資格をもっているから偉いなんてことはないんですよ(このへんを履き違えている士業はたくさんいますけどね)。ぼくは単なる肩書きだけの「専門家」であることにあぐらをかいて、目の前の経営者との土俵の違いを考慮せずに、一方的に一般論を押し付けたんですよね。
二村監督の言葉を借りていうと、様々な経緯があって不良在庫の処分をためらう社長を前に、「処分したらいじゃないですか」と一般論を押し付けたぼくは、「付き合ってもいないし、相手がこちらに好意を持っているかどうかもわからない相手に対して、いきなり下の名前で呼び捨てにする」みたいな乱暴なことをやったわけです。つまり「同じ土俵に乗っていない」のに、適当なことを言ったことで、信頼を損なうことになったんですよね。
それはあたかもぼくが若かりし頃、付き合ってもいない女性に、いきなり下の名前で呼び捨てにするようなキモチワルイことをやったことの再生でもあるわけです💦どうやらぼくには、相手の立場を考慮せずに、一方的に自分を押し付けたくなる衝動があるようですね。
立場の違いについては組織心理学の大家、エドガー・シャイン教授も警鐘を鳴らしている
ぼくの敬愛する組織心理学の大家、エドガー・シャイン教授も、二村監督と似たようなことを言っています。「支援」(コンサルティングを含む)が行われる場では、支援をする側と支援を受ける側とでは、「立場」が違う、といいます。支援をする人は「一段高い位置(ワンアップ)」にいて、支援を受ける人は「一段低い位置(ワンダウン)」にいる、と言っています。そして支援のプロセスがうまくいかないのは、この立場の不均衡が原因だとも言っています。この立場の不均衡を埋めなければ、有効性のあるコンサルティングはできないと、いうことですね。
どうですか?二村監督とシャイン教授は同じことを言っていますよね。二村監督の言葉を借りて、シャイン教授の考え方を俗っぽく言うと、「相手の立場をおもんぱからない支援はキモチワルイ」ということですね。
押し付けるまえに自分を認識することと耳を傾けることが必要
二村監督は、相手の土俵を考慮せずに偉そうに振る舞ってしまうことについては「そのことについては本当は自信がない」と看破します。自信のなさからキモチワルイことをしてしまう自分を認識するとこらから始め、対人関係トレーニングをつむべき、と言います。
一方でシャイン教授は「クライアントの話に心から耳を傾けることによって、支援者は相手に地位と重要性を与える。そして、クライアントによる状況の分析が価値あるものだというメッセージを伝えるのだ。支援というものが、影響を与える一つの形だと考えるなら、自分が影響されてもかまわない場合しか、他人に影響を与えられないという原則はきわめて適切だろう」といいます。(エドガー・H・シャイン『人を助けるとはどういうことか』英治出版,p83より引用)
これも共通項がありますね。コンサルタントであるぼくは、本質的には他人から影響されるのが怖いんですよね。だから一方的に何かを押し付けたくなるわけです。そして他人から影響されることが怖いという原因を掘り下げていくと、「そのことについては本当は自信がない」んです。自信がないから、資格みたいなもので自分を底上げしようとしているんですよ。
だから「国家資格があるから自分はプロだ」というのは違うんですよね。向かい合うべきなのは目の前のクライアントなんです。目の前のクライアントが認識する現実が一般論からかけ離れたものであっても、その認識が価値あるものだと受け入れて、自分の持つ一般論を保留にできる勇気のある人が、本当のプロなんでしょうね。