おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
当社では毎月、売上の1%程度を各所に寄付をしています。今月は(今月も)、子どもの虐待防止運動であるオレンジリボン運動に10,000円の寄付をしました。子どもの虐待に関する痛ましい事件が後を絶ちませんが、子どもの虐待について、僕が読んで共感した本を紹介します。
虐待サバイバーは「死にたい」ではなく「消えたい」と感じて人生を過ごす傾向
虐待を受けて育った大人が、どのような生きづらさを抱えているのかということを臨床現場の視点で書いたのが、高橋和巳先生の「消えたい」という本です。
高橋先生によると、子供の頃に虐待を受けた人は「死にたい」よりも「消えたい」と感じる傾向があるのだそうです。
「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
「消えたい」には、前提となる「生きたい、生きてみたい、生きてきた」がない。生きる目的とか、意味とかをもったことがなく、楽しみとか幸せを一度も味わったことのない人から発せられる言葉だ。今までただ生きてきたけど、何もいいことがなかった、何の意味もなかった。そうして生きていることに疲れた。だから「消えたい」。
死ぬとも違う、痕跡さえも残したくないという気持ち
これ、とても個人的には共感ができます。子どものころから修羅場をくぐりまくった僕の場合も「死にたい」と思ったことはなかったけれども、存在さえも消してしまいたいという気持ちはこれまでの人生で何度もありました。別に自分がいなくても誰も困らないだろう、みたいに。
「死にたい」という気持ちと違うのは、存在が残るかどうかという感じでしょうかね。死んでも存在は残るんですよ。「今村さんとかいう人いたよね、死んじゃったけど」という形でね。でも最初からなかったことにしたいというか、そういう痕跡さえも残したくないっていう気持ちはあったんですよね。それが「消えたい」なんだと言語化されたこの本を読んだときに、ああこの気持ちのことだったんだと、割とすんなり理解することができました。
「消えたい」という感情も悪いことばかりではない
この本を読んでもうひとつ救われたことがあります。それは「消えたい」と思う人は、世界を異なる視点で見ている可能性がある、ということ。自分の存在に実感を持っている人には絶対に有り得ない発想、社会の常識や良識に媚びない態度などを持つという面があるらしい。自分自身に、他人と異なる発想や態度があるのかは、他人と比べようがないのでわからない(まあ、変わり者だという自覚は多少はあるけど)のですが、ただ「消えたい」という感情にもポジティブ?な可能性があるのだろうと知れたことが、自分の存在を肯定してくれたような気がしました。
ポジティブな面があるにせよ、こういう感情は持たないに越したことはないと思います。そういう人が少しでも減るような世の中になってほしい……という気持ちを込めて、今月も寄付をしたというわけです?