おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。正直に言うと、僕は心の奥底に「誰かに依存したい」という気持ちを飼っています。でもプライドのためか、それを表に出さないように抑圧しています💦
「誰かに依存された」と感じると嫌悪感が湧いてくる
こんな仕事(コンサル)をしているのにおかしいと自分でも思うのですけど、仕事で頼られると嫌悪感が湧いてくることがあります。いつも湧いてくるわけじゃないので、発動条件は自分でもよくわからないんですけどね。
例えばですけど、過去にこんなことがありました。コンサルとしてクライアントの会社の役職者会議(社長、役員および部課長級の会議)に参加していたときのことです。とある課長さんがいたんですが、その課長さん、自分の社内の問題点を報告するとき、なぜか社長や役員の方を向かずに、外部支援者の僕のほうを見て話をする特徴がありました。
いや、別に僕の方をみて社内の問題点を報告してくれてもいいんですけど、そうした課長さんの態度に対して、僕はムッとしてしまうんですよ。「社長や専務も参加する会議なんだから、社長や専務に向けて話せばいいじゃない?」と。僕はお金を頂いてその会社の問題解決の役割を担っているというのに、無責任もいいところですよね💦
僕はそうした課長さんの態度を見て、「ああ、この課長さんは社長や専務に直接言いづらいから、僕を介して訴えようとしているんだな。僕を頼っているんだ」と思うのですが、そう思うこと(頼られること)自体に嫌悪感が湧いてくるのがわかるんですよね。仕事でやっているのにおかしな話です。僕はコンサルに向いてないんじゃないかと思いますね。
「依存したい」という気持ちを抑圧している
元来、人付き合いが苦手でコミュ障&陰キャの僕はコンサルに向いていないというのはそのとおりだと思うのですが、「なぜこの課長さんから頼られることに嫌悪感が湧いてくるのか」ということを突き詰めると、その課長さんは僕にとっての「シャドウ」のような存在だったのではないかと思います。
シャドウ(影)というのは、「個人において生きてこなかったもうひとつの側面であり、意識にとって許容できない自分の暗黒面のこと」を言います。心理学者のユングが提唱した元型(多くの人が無意識的に持つイメージ)のことです。
つまりどういうことかというと、僕は心の奥底に「誰かに依存したい」「誰かに頼りたい」という気持ちを持っているのですけど、それを抑え込んでいるんですよね。なぜ抑え込んでいるのかは自分でもよくわかりません。「男は誰かに頼らずに自立すべきだ」というジェンダーロールなのか、「自分でやりなさい!」と子供の頃に親からたびたび叱責を受けたためなのか、一人親方なので誰にも頼ってはいけないと思いこんでいるからなのか、それともそれらの全てなのかはわかりませんけど、「誰かに頼りたい」という思いを我慢しているのだと思います。
そうして自分が押し殺した要素を、その課長さんに見出しているのだと思います。もっともその課長さんが「僕に頼りたい」と思っているかどうかは知るすべはありません。僕が勝手にその課長さんを評して「僕に頼ろうとしている」と思い込んでいるのだとも思います。でも課長さんは問題ではなく、本当の問題は、自分が否定している自分自身(≒シャドウ)を僕が勝手にその課長さんに見出していることにあるのですね。
ユングの言葉を借りると、僕に頼ろうとしているように見えるその課長さんは、僕が生きてこなかった僕のもうひとつの側面なのかもしれません。
「依存したい」と思う気持ちを認めることで楽になる
社会に適合するために「依存したい」という気持ちを封じていたのですが(でも実際には封じられずにイライラしていた)、「依存したい」という気持ちが自分にあると認めることで楽になることで、こうした場面は徐々に受け入れられるようになってきました。まあ全て受け入れているわけではありませんし、どちらかというと「イライラしなくなった」というよりも、「イライラしてもリカバーするのが早くなった」という感じでしょうかね。
「誰にも頼ってはいけない」「強くあらねば」と思う自分の影で、「でも本当は依存したいのに……」と僕の心は泣いていたのだと思います。それを「強くあらねば」と抑圧を強めて無視をしても、僕の心は泣き止みませんでした。でも「ああ、そうか。依存したかったんだよね」と自分の本音を認めてあげたので、自分も少し気が収まったのでしょう。
「依存してはいけない。自立すべき。」という考えは一般的には社会で歓迎される考えであり、いわば「光」です。しかし光あるところに影が落ちるのが自然の摂理であり、影をないものにすることはできません。光のあたる自分だけを見るのではなく、影も含めた自分として自己のイメージを統合することが、心の安定には肝要なのでしょう。
抑圧した、自分が生きてこなかった側面は「依存」だけではないでしょう。おそらく大人になる過程で、職業柄として、集団の中で承認されるためとして、切り捨ててきた「生き方」は他にもたくさんあるでしょう。そうした気持ちは、自分がイライラする時にこそ発見ができるんですよね。無視をせず、自分の本音と向き合いたいものです。長く人生をともにしてきた、他ならぬ大切な自分なのですから。