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自主性がないことは罪ではない

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。ビジネスの世界では「自ら考え行動する人材」が重宝されますよね。いわゆる自主性、自律性の高い人材というやつですけど、本当にこういう人材じゃないとダメなんでしょうかね?

「私は一つ一つ指示されるほうがいいんです」という部下

もうずいぶん昔のことですが、僕には一人の部下がいました。それまで彼はずっと技術畑を歩んできていたのですが、何の因果か営業へと異動になったのです(本人の希望もあったようですけど)。で、営業として鍛えてやってほしいということで、僕の部下になりました。

当時の僕は「営業には自主性が大事。どういった顧客にどうアプローチするのが最適なのか、自ら考え行動し、PDCAを回して改善を繰りかえすことが肝要」などと、誰かの受け売りじゃないかと思うような御託を並べる評論家でした。なので僕の部下になった彼にも同じようなことを言い聞かせて、「自ら考え行動する営業担当者になってくれ」という期待の声をかけていました。

そうした人材に育てようと思い、彼に対して細かな指示はせずに「これはどう思う?」「○○君だったらどうする?」と考えさせ、自ら答えを出すように導いていた……つもりでした。

ある時ですが、僕がトイレに行こうとしているとき、トイレの中から彼と彼の同期が話している声が聞こえてきました。立ち聞きするつもりはなかったんですけど、耳に入ってきたんですよね。

「うちの上司(今村のこと)いるじゃん?なにかと俺に考えさせようとするんだけど、俺は一つひとつ指示されるほうがいいんだよなあ」

という彼の言葉(^_^;) もうその時、すごくがっかりしてトイレに行くのを諦めてしまいました。

教え方が悪いのか、彼がもともと持つ性質なのか、それとも……

すごくショックだったんですけど、それでも僕は「ビジネスにおける自主性の狂信的信奉者」だったので、なんとかして彼に「自ら考え行動する大切さを知ってほしい」と、そればかりに固執してたんですよね。手を変え品を変え、なんとかならないか……という思いで日々彼と接していたのですが、それから1年くらいして彼は会社を辞めてしまったんですよね。ひょっとしたら僕の接し方が彼を追い詰めていたのかもしれません。(真相は今となっては闇の中です)

その出来事から遡ること7年ほど前。僕には別の後輩がいたのですが、その時の後輩に対しても「営業には自主性が大事。どういった顧客にどうアプローチするのが最適なのか、自ら考え行動し、PDCAを回して改善を繰りかえすことが肝要」なんてことを偉そうに言ってたんですよね。後輩が「今村さん、これわからないんですけど……」と聞いてきても「ちゃんと自分で考えたのか?」「もっと考えてから聞いてこいよ」などと偉そうに接していました。その後輩も自ら考えようとするんですけど、いいアイデアが浮かばないようで、机に座って悶々とした表情をしていたことを思い出します。

今こうして過去のことを振り返って書きながら思うのは「ずいぶんと(僕は)偉そうにふんぞり返っていて、自分がよいと思う価値観を部下や後輩に押し付けていたんだな」ということです。なんでもそうですけど、いきなり自分から考えてそれなりの結果を出せるような行動なんてできるはずはありませんよね。それを僕は、いわば彼らに丸投げしていたのだと思います。

社会人を20年以上続けてきて思うのは、「どうしても自分で考えることが苦手な人」は必ずいる、ということです。これは遺伝的な性質なのかもしれないし、「自ら考え行動したことで裏目に出てしまった経験」を持つ人なのかもしれません。もしくは、会社や上司に不満を持っていて、「自ら考えたってどうせ何も変わりっこない」と学習性無力感に苛まれているのかもしれません。理由は色々あるでしょうけど、間違いなく言えるのは、部下の彼が言ったように「私は一つ一つ指示される方がいい」という人は確実にいる、ということです。

自主性がないことは罪ではない

どういうわけなのか、現在のビジネスにおいて従業員の自主性は過度なくらい強調されていませんかね?これはどうしてなんでしょうか。上司や先輩に教える余力がないから、部下や後輩に自主性を求め、教えるという責任を回避しようとしているのかもしれません。もしくは複雑で多様で不確実な時代ですから、一つ一つ指示をすることが不合理だからなのかもしれません。理由はどうであれ、「ビジネスでは自主性が大事」という言い草に対しては、反対の声を上げにくい空気さえあるんじゃないかという気がします。

しかし育成という名を借りて、僕がかつてやったように「自主性のない人間を教育して変えてしまおう」とまで思うのはちょっとやりすぎじゃないかと思うんですよね。かつての僕の考え方は、自主性があるのがよくて、自主性がないのは悪いという二元論的な考え方で、極端な話をすると自主性のない人間には価値がない、罪に等しいとまで考えてしまう、差別の第一歩になりかねない危険な考え方だと思うんですよね。

人はもともと多様です。自主性一つにしてみても、それを難なく発揮できる人と、苦手な人がいます。難なく発揮できる人だけを望むこと・認めることは、人間を利用価値で判断する行為のようで、優生思想ぽくって好きじゃないですね。

自主性のない人をダメだと思う気持ちはどこから来ているのか––世間や他人の受け売りを無批判に鵜呑みにしていないか、もしくは自分に自主性がないことのコンプレックスの裏返しではないか––ということも含めて、心の奥底にある自分と向かい合うのが、他人に自主性を押し付けるよりも先にしなければならないことではないでしょうかね。

  • B!

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