ものづくり経営革新等支援機関

「誰かの期待に応えなければならない」という母親の呪い

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。4月になりましたね。ちょうどこの4月で、社会人になって丸25年となりました。25年たって振り返って思うのは「誰かの期待に応えなければならない」という呪いに縛られた25年だったように思います。

最初に勤めた会社を辞めると母に告げたとき、罵られて泣かれた

組織に馴染めなかったぼくは、最初に勤めた会社を、入社して3年ちょっとで辞めることにしました。

当時はもう26歳でしたし、別に母親に「会社を辞める」なんて言わなくても良かったんだと思うんですけど、「会社を辞めることにした」という連絡を電話でしたんですよ。そしたらめちゃめちゃ泣き叫ばれて罵られたんですよね。

「せっかく入った有名な会社なのにもったいない」なんていう生易しいレベルじゃないんですよ。「このバチあたりが!」「親を泣かせる気か!」みたいな感じで罵ってくるんですよね💦で、さんざんぼくを罵った後、ワンワンと泣くんですよ。

「そこまで感情的になるもんなの?」とドン引きするくらいの有り様だったんですけど、そこまでやられると罪悪感が湧いてくるんですよね。でももう辞表を出してしまったあとなので、どうしようもないんですけど。

実は似たようなことが高校生の時にもあった

これと同じようなことが、ぼくが高校生の時にもあったんですよね。ぼくの高校の担任は、ぼくに内緒で両親を呼び出して「今村くんは学校を辞めたほうがいい」と、退学勧告をしたらしいんですよ。当時のぼくは学校の勉強についていけず、落ちこぼれていたから辞めろという話だったらしいんですけどね。確かに落ちこぼれてましたけど、学校の勉強ができないくらいで辞めろなんていいますかね、普通。

で、そうなると母親はやっぱり狼狽するわけですよ。「親に恥をかかせやがって!」みたいな感じで。まあ、担任から「お宅の息子はできが悪い」なんて言われたら、狼狽するなというほうが無理かもしれません。しかし今思うと、泣いたり喚いたりしてぼくに罪悪感を抱かせ、「操作」しようとするのは母の常套手段だったのだと思います。

ぼくだって好きで落ちこぼれていたわけじゃないんですけどね。努力はするけどついていけないことってあるじゃないですか。でも親が狼狽しているのを見ると、「自分のせいで親に恥をかかせてしまった」みたいな罪悪感が湧いてくるんですよね。で、「勉強をもっと頑張るから許して」みたいなことを言った記憶があります。それまで以上に勉強をするようにはなったんですけど、なんとか母の期待を裏切ってはいけないという気持ちでいっぱいでした。

「誰かの期待を裏切ってはいけない」という思いが内面化された

いま思い出せるのはその2つのエピソードくらいなんですけど、母はそういう人でしたから、本当はもっと似たようなことがあったんじゃないかと思うんですよね。おそらく母はぼくが小さい頃から、期待をかけ続けてきたのだと思います。

父は仕事ばかりで、家庭や子育てにはほとんど関わらない人でしたので、母にとっては子どもが自分の期待する通りに育ってくれることが全てだったのでしょう。その気持ちはわからないでもありません。ただ、母のそうした思いを汲んでか、ぼくはいつの間にか「誰かの期待に応えなければならない」という思いを内面化し、そうでないと自分は価値がないと思うようになっていったのでした。

その「誰か」とは、母だけではなかったでしょう。配偶者様の期待かもしれないし、会社の期待や上司の期待だったかもしれない。先輩や後輩の期待もあったでしょう。期待され、それに応えることは、ある程度は自分のモチベーションになった反面、強いプレッシャーにもなりました。期待に応えられなければ、期待に応えられない自分を激しく嫌悪するようになりましたからね。

期待に応えられないことがおきると、期待に応えるために自分を高めようとしました。なんど失敗しても、「誰かの期待に応えることが自分の道だ」と信じて疑わなかったんですよね。しかし40を過ぎてうつになりました。いろんな人の期待に応えるために自分を高め続けて、曲がりなりにもそれなりの期待に応えてきたはずなのに、どうやら自分は幸せにはなれないようだということに気づいてしまったのです。今まで信じていたものが崩れて「自分は一人ぼっちだ」と孤独感に襲われました。

誰かの期待に応えようが応えまいが、私の価値は寸分とも変わらない

もちろん、誰かの期待に応えることを全否定しようと思っているわけではありません。期待するのはその人の自由ですし、期待されると応えたくなる人情までも否定するつもりはありません。ただぼくが「誰かの期待に応えなければならない」とか「期待に応えられなければ自分には価値がない」とまで強く内面化している価値観を絶対視するのはやめよう、と思ったにすぎません。

誰かの期待に応えるために生きているわけではないんですよ。これはぼくの人生なので、「こうしたい」「こうありたい」というぼく自身の声を、もっと聞いてあげなきゃなと思うんですよね。別の言い方をすると、「他人の期待に応える」のではなく、「ぼく自身がぼくにかける期待に応える」割合を高めていきたいと、いまは思っています。

それでも仕事などで結果が出せなかったときには、あいかわらず自分の無能さに腹が立ちますし、自分に対する怒りで我を忘れそうになります。それでも、うつになって今まで信じていたものが崩れてよかったのだとも思います。闇雲に「誰かの期待に応えなければならない」と思ってしまう母の呪いが解け、「誰かの期待に応えようが応えまいが、私の価値は寸分とも変わらない」という別の価値観を見つけることができたのですから。

  • B!

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