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初恋がきっかけだった英語が良くも悪くもぼくの人生を大きく変えた

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

週末のエモブロです。ぼくは英語がまずまずできます。「自慢話か」と思われるでしょうが、違います。スキルを身につけることは紛れもなく良い面ですが、反面、自分がキツくなることもあります。今日はキツい方の面の話をします。

初恋が英語を勉強しようと思ったきっかけ

そもそもぼくが「英語を勉強しよう!」と思ったったのは、中学生の頃にぼくが好きだった同じクラスの女の子が、親御さんの都合で海外(英語圏)に引っ越してしまったのが原因なんですよね。

いやまあ、その子とは両思いだったとか付き合っていたとかいうことは一切なく、ぼくの一方的な片思いだったんですけどね😅。一方的な片思いなので、英語を勉強したとしてもその子にまた会えるなんていう保証もないし、社会的にも経済的にも自立していない中学生のことですから、彼女に気軽に会いに行くということもできません(そんなことしたら彼女からドン引きされるだけでしょうけど)。にもかかわらず急に英語を勉強しはじめて、本当にキモチワルイですよね💦

なんの保証もなく、そして肝心の彼女から歓迎される確信もないけれども、英語を勉強することで遠くにある「なにか」に近づけるのではないかと思ったのでしょう。キモチワルイ中学生でしたが、その気持ちが確かに自分の大きなモチベーションになっていたんですよね。

「自分を他者と差別化する武器」へと形を変えていく

しかし「去る者は日々に疎し」とはよく言ったもので、何千キロも離れている彼女を思う気持ちというものは、悲しいことに日々失われていくんですよね。そうして「もしかしたら遠くの彼女に近づけるかもしれない手段」であったはずの英語は、いつしか「自分を他者と差別化する武器」へと形を変えていくのでした。彼女のことを忘れてしまったあとでも、英語はぼくのアイデンティティを象徴するものとして残り続けたのです。

英語の成績だけは常にクラスでも一番だったので、確かに高校生のころくらいまでは「自分を他者と差別化する武器」の役割を果たしていたと思います。やがて英語というスキルが自分の中で先鋭化されていき、その到達点として「外大を受験する」という選択肢を選ぶようになりました。念願かなって、外大へと進学することはできましたが、そこは全国から集まる英語の猛者ばかり。帰国子女もたくさんいました。そういう人たちに、田舎者のぼくが机上で学んだ英語が敵うわけがないんですよね。

英語を「他者と差別化する武器」と認識していたぼくは、どうもこの場所(外大)では差別化できそうにないので、英語のことは避けて生きるようになりました。就職も、まったく英語と縁のない仕事を選びましたし、もう完全にぼくのなかで英語は死んだと思っていたんですよ。

しかし就職先も優秀な人ばかり。劣等感を覚えるぼくの中で、むくむくと「他者と差別化したい」という気持ちがまた湧いてきます。その中で目をつけたのが英語でした。昔とった杵柄ですが、まだ就職先の同期の中では、英語で差別化できる余地があったんですよね。そうしてまた「自分を他者と差別化する武器」に、英語を位置づけるようになりました。振り返ってみると、根底的な自己イメージとして「ダメな自分」があって、ダメな自分を何かで底上げしたいという気持ちが強かったんでしょうね。

「自分を他者と差別化する武器」である英語をふたたび突き詰めていき、外資系企業に転職しました。長期で一人で海外出張をするようにもなりました。確かに仕事で不自由しないくらいに英語を操ることができるようにはなりました。でも英語が話せるがゆえに責任が徐々に増し、英語が話せるゆえに本国と日本のお客さんの板挟みになる立場となりました。英語で他者との差別化はできたのかもしれないですけれども、そこにたどり着いたぼくは少しも幸せではなかったですね。

やがて「もうこれ以上は無理だ」と思い、会社を辞めました。それと同時に、英語にこだわることは必ずしもぼくを幸せにしない、とようやく悟ったのでした。まあそもそも、他人との比較の道具に使ってしまったことが問題だったのでしょうけど、ぼくの前半生のテーマであった英語が終わったのと同時に、ぼくの初恋と青春も完全に終わった瞬間だっだと思います。

スキルを身につけることで生じるキツイ面についての思いが至らなかった

「芸は身を助ける」ではないですけれども、英語はぼくをいろんな意味で変えてくれたのは事実です。しかし、なにかのスキルを身につけたからと言って、それが自分の幸せに直結するとは限らないことを、そのときに身をもって知ったのでしょう。無論、外大に進学できたり外資系企業に転職できたりと、ぼくの人生に「結果」をもたらしてくれたことは否定はしません。でもそれと同時に「こんなはずではなかったのに」と思うことも呼び込んでしまったのも事実でした。

物事には何事も良い面と悪い面があります。スキルを身につけるということは紛れもなく良い面ですが、それによってもたらされる自分の責任とその重さに自分が耐えられなかったのですね。スキルを身につけることで生じるキツイ面についての思いが至らなかったのでしょう。

まあ仕方がないかもしれませんね。世間では何かのスキルを身につけて結果を出すことは無条件に歓迎される傾向にあって、それがもたらす負の面について教えてくれる人なんていませんから。あまり英語に入れ込みすぎずに、ほどほどの距離をとればよかったのかもしれません。もしくは入れ込んだこのスキルが、他人との比較容易な英語でなければ、また違った展開になったのかもしれません。

とはいえ、英語を学ばなければよかったとも思っていません。もし英語を真剣に学んでおらず、外大へ行くという進路を取っていなければ、ぼくの大学以降の人間関係は一切存在しなかったでしょう。そうなると当然、配偶者様や娘氏にも会えない人生だったのだと思います。それはあまりにも寂しいなあと思いますよね。

散々振り回されて劣等感や優越感の原因となった英語ですけど、良くも悪くもいまの自分を形成する最大級の要因になったのですから、不思議なものです。きっかけは、ただ一人の女性と同じクラスになったことにすぎないんですけどね。(本当に我ながらキモチワルイ)

  • B!

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