おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
1週間ほど前ですが、久しぶりに5S研修の講師をしました。研修の対象は企業の若手社員中心だったのですが、どうも彼らは5Sというと「とにかくきれいにする」「100%を目指す」ということを前提に置いているように見えました。断言しますが、きれいさを目指したり100%を目指す5Sは確実に破綻します。
「きれい」を目指すのは危険が多い
えっ?5Sって「きれい」を目指す活動じゃないの?と思う人が多いのではないでしょうか。確かに5Sというと整理整頓、お片付けの活動ですから、ゴールは「きれいになる」だと認識するのは当然です。若手社員ではなく、ある程度5Sの経験がある人でさえも「きれい」が5Sのゴールだと信じ切っている人がいます。
しかし5Sで「きれい」を目指すのは、百害あって一利なしだと僕は思っています。理由は、①きれいにするのはしんどいから、②きれいの基準は人によって異なるのでもめるもとになる、という2点です。
きれいにするのはしんどい、というのはまずまずわかってもらえると思います。例えば年末の大掃除を想像してもらえばよいのですが、徹底してきれいにしようとめちゃくちゃ時間と労力がかかります。そのような時間と労力を割く手間を、この人手不足の時代に本当にできるのでしょうか。無理してきれいにしようとすると、夜を徹してサービス残業しながらの5Sになってしまいます。こんなしんどい活動が、従業員に受け入れられて、しかも継続するとは思えません。もっというと、多くの人は5Sをすると「まんべんなくきれいにしなければならない」と思い込んでいるフシさえあります。まんべんなくきれいにすることがどれほど大変なのかは、大掃除を想像してもらえればわかるはずです。
もう一つの「きれいの基準は人によって異なる」ということです。きれいや汚いというのは主観です。ある人から見るときれいに見えても、別の人から見るときれいではないと判断されることもあります。そうなると職場でも「もうこのくらいで5Sはいいだろう」という意見と「まだきれいとはいえない」と意見に分かれることになります。これは揉めるもとになります。揉めてまで5Sをやり遂げようと思う人はほとんどいないでしょう。
100%を目指すことはもっと危険
研修でよく聞かれる声としては「ちゃんと決めた場所にものを戻さない人がいる」「全員がルールを守れるようにするにはどうすればいいか」といった懸念や疑問が必ず出ます。しかし何事も人がやることに100%はありません。うっかり忘れてしまうこともあるでしょう。5S(≒片づけ)となると、簡単そうに思えるので、「片づけくらい100%やろうよ」という風潮になりやすいのですが、たかが5S、されど5Sです。
100%を目指すと、100%できない人が落伍します。できない人をできる人が批難するという図式になります。批難されるほうは面白くありませんから、5Sに対する気持ちが失われる結果になります。
5Sの対象を絞り、それだけを守ることでも5Sは効果を発揮する
きれいを目指さなくても、100%を目指さなくても、5Sの効果は発揮できます。例えばですが、先日僕がISOの審査をした会社では、測定機が行方不明になっていたため、校正期限が切れていたという事象があり、不適合となりました。
このような会社では、きれいにしたり100%の5Sを求めなくても、単に「測定機の置き場を作る」とするだけでも、5Sの効果は出ます(不適合の是正処置の一環になるという意味で)。置き場を作っても守らない人がいれば、もっと守られるようにするにはどういう置き場にすればよいかを考えれば済む話です。なにもそこできれいにすることや、ルールを100%守らせることにこだわる必要はないのです。
5Sの対象を「測定機」に絞ることは、まんべんなく5Sをするよりずっと楽です。また、100%を目指す必要はありません。今まで50%しか守られなかったものが、60%になるだけでも十分な効果です。こうした進歩を皆で喜べば、それだけでいいのではないかと思います。もちろん100%できるにこしたことはないのですが、何事も100%というのはないのです。簡単なお片付けであったとしてもです。
しんどいことは継続しません。しんどいことを無理やりやらせても、従業員の支持を得ることはできませんね。