おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
先週の金曜日、うちの娘にとっての最後の子ども園登園日でした。これをもって6年間通った園ともお別れ。育児はまだまだこれからも続きますが、一つの節目を迎えました。振り返ってみると、父親・夫としては実に苦しい6年間でした。
「よき父親」「よき夫」でなければならないという呪いみたいなもの
なぜ子どもが生まれてこれまで苦しかったのか?というと、「よき父親」「よき夫」でなければならないという呪いみたいなものに縛られていたから、と言えるかもしれません。
身内の恥をさらすようで大変書きづらい(それでもネタにする)のですが、僕の父親が仕事人間で、まったく家事や育児をしない人だったのです。専業主婦で、転勤族の僕の母は、孤立無援で家事や育児をしていたのでしょう。母は、子どもである僕に向かって、父に対する愚痴を毎日にように吐いていました。そんな愚痴シャワーを存分に浴びて育ったということが、呪いの原点なんだろうなと思っています。
「よき父親」「よき夫」でなければならないという決意があったとしても、本当にその通りにできるかどうかはやってみないとわからないものです。育児に限らず、誰だって何事も最初は初心者なのですから、うまくことばかりではありません。「よき父親」「よき夫」でなければならないという思いと、でもうまくできない現実の自分のギャップに苦しむ――そんな毎日だったように思います?
追い打ちをかける「男は弱音を吐いてはいけない」という呪い
我が家は共働きですから、僕は家事も当然します。その上、会社(前職)での役割と責任を果たさないといけない。子育ては思い通りにいかないことばかり。そうなると、自分もどんどん苦しくなってくるんですよね。だからといって「しんどい」とか「辛い」とか、当時の僕は言えなかったですよね。男は弱音を吐いてはならない、みたいな昭和的価値観に縛られていましたからね?
妻も会社の人もみんな頑張っているんだから、もっと自分も頑張らないと……と自分をなんとか鼓舞してましたが、正直なところかなりギリギリのラインだったと思います。
あまり頼りすぎてはいけないと思いながらも、なにかにすがれないかとネットを検索したりもしました。しかしですね、家事や育児に疲弊する父親についての情報なんてほとんど皆無なんですよね。。あるとしたら「パパの極意~仕事も育児も楽しむ生き方」とか「笑っている父親になろう!」とか「仕事も育児も人生も笑って楽しむパパになろう!」とかいう、謎ポジティブなものばかり。こういうのに元気づけられる人もいるのかもしれませんが、少なくとも僕にとっては「これ以上『父親はこうあるべき』を押し付けないでくれ……」とプレッシャーに感じられるだけではなく、「仕事も育児も楽しんでできないのは、もしかして自分だけじゃないのか?」とかえって孤独さが増していました。
よく「今村さんはイクメンですよね~」なんて言われますけれども、そういう言葉で容易に表現できるような6年間じゃないんですよね。人生の荒廃この一戦にあり、のような心境で家事・育児に向かい合っていました。
小学生に進学したら何かが変わるか?
こんなことがあったので、2年前に会社を辞め、時間を有効に使うために自営業になった訳です。もちろん独立・開業の他にも、自分の負担と心を軽くするためにいろいろと取り組みました。おおざっぱにいえば「父・夫としてこうあるべき」という理想のようなものを抱えるのはやめて、うまくできない自分を認めることをしてきたわけですが、そうしてようやく子どもの卒園まで生き延びたというのが正直な気持ちです。
子どもが小学校に進学したら何かが変わるのかなあ?確かに7歳にもなろうとしていて、手がかからなくなってきたというのはあるけれども、今後は学童とかPTAとか、もう少し後には反抗期とか、今までにはなかったことに直面する機会も増えるでしょう。戦々恐々としています。ちょっと深刻に思いつめすぎでしょうかね??
しかし今後起こるかどうかわからない将来の見えない不安に怯えても仕方のないことです。少なくとも今は、「こうあるべき」を自分自身に押し付けすぎないように、淡々とやるしかないんでしょうね。