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ブログ 仕事・家事・育児の両立

意図せずに、人は癒やしあって生きる

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

子どもが産まれて間もなく、仕事と家事と育児のバランスが取れずに悩んでいて、かなり精神的に参っていました。抜け出すためにいろいろと試みたのですが、ゲシュタルト療法の集団セラピーでよいきっかけを得たときの話をしたいと思います。

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ゲシュタルト療法とは

僕も1回しか行っていないのでうまく説明ができないんですが、精神療法の一つの分野で、患者自身の気づきを重視する療法、とでも言えるでしょうかね。ゲシュタルト療法の特徴的な技法のひとつに「エンプティ・チェア」というものがあります。これは、自分の人生において、何かのわだかまりを持っている誰かが、今ここにいると想定して、その人に今の思いを語る、というもの。(これは僕の解釈なので、厳密に言うと違うかもしれない)

その思いを語る手助けをするファシリテーターという人がいて、その人の促し受けながら、思いを言葉にするという感じです。イメージとしては↓のような感じですかね。

 

ゲシュタルト療法に行こうと思ったきっかけ

子どもが産まれて間もなくのころ、イライラや怒りをコントロールできずに、配偶者様や周囲の人に理不尽な怒りをぶつけてしまっていました。これをなんとかしたいと思っていたのですが、ある時、田房永子さんの「キレる私をやめたい」という本を読んだのですね。ほぼ僕の悩みと同じことが書かれている本でした。この本では、田房さんがゲシュタルト療法のセラピーに参加して、大きな前進を得たということが書かれていて、僕も何かつかめるんじゃないかと思って参加したのです。

 「エンプティ・チェア」のある女性セッションのとき

僕がうけた「エンプティ・チェア」のセラピーは集団セラピーだったので、僕以外にも参加者が何人かいました。僕がクライアントとして思いを述べる時以外は、他の人のセッションを第三者として見守るのですが、そこに僕と同じ年頃の女性がいました。

彼女のセラピーの時のこと。自分の抱えている問題やわだかまりを、彼女は告白していく。話を聞いていると「もしかして生き別れた僕の双子のお姉さんじゃないの!?」とと思えるくらい、似た家庭環境で育っていることにビックリ。似た境遇であることを知り、僕は彼女のセッションに、いつのまにかのめり込んでいました。セッションが進むにつれて、感情をむき出しにする彼女。大人の女性ですが、僕には子どものように見えました。あの時、あの人に言えなかった言葉や感情を、あの時に戻って、全身全霊で伝えている姿に「それ、僕も自分の親に言いたかった!」と完全に感情移入していました。

彼女のセッションが終わった時、人前で泣いたことなどもう何十年もなかった僕でしたが、嗚咽が止まりませんでした。

そして僕のセッションの時

で、やがて僕のセッションの番がまわってくるわけですが、これがなんとまあ、全然ダメなんですよね?

まず言葉が出ないんですよ。言いたいことや吐き出したい感情が見つからない。エンプティ・チェアに対してのめりこめないんですよ。「もう感情を吐き出さなくてもいいや」って気持ちなんですよね。でもそれは「エンプティ・チェア」という技法を否定しているわけでもないし、ファシリテーターの力量を否定しているわけでもありません。自分の言葉や感情をセーブしようとしているのでもなく、どちらかというと「例の女性のセッションの時に共感しまくったので、もう満足した」という感じなんですよ。

これだけ見ると、僕のセッションそのものは失敗だったのかもしれません。しかし、このセラピー全体の最初から最後までの時間、場の空気、他の参加者との相互作用のなかで――特にくだんの女性のセッションを感情移入して観ることで――僕は総合的に癒やされていたんだと思います。

信じられないくらい軽やかな心に

その証拠に、セラピーのすべての時間を終え、会場を後にしたとき、信じられないくらい心が軽やかになっていました。僕はこの時、かなり満足していて「あ、もうこれで大丈夫かも」と自然に思えたのでした。

ただし、ゲシュタルト療法のエンプティ・チェアという技法が、誰の悩みでもすぐに解決できるわけではないとは思います。僕はそこに至るまで、いろんなことに試行錯誤して、悩んで、失敗したなあ?と後悔しながら、コントロールできない自分の感情に向き合ってきたからです。その間、一進一退を繰り返していたように思えていたけれども、実は徐々に改善に向かっていて、そしてゲシュタルト療法が最後のひと押しだったのではないかと、と振り返って思います。そういうわけで僕の場合は、まったく見ず知らずの他人が、ただ怒って泣いている姿を見て、「もう大丈夫」と思うことができたわけです。

しかし、かの女性は、まさか見ず知らずの他人(僕)を、知らず知らずのうちに癒やしていただなんて、想像もしていないでしょうね。意図せずに、人は癒しあって生きるのかもしれませんね。

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