おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。この春にうちの娘氏も進級し、思春期に差し掛かりつつあります。子どもの成長って早いですね。そんな中、娘氏が小さかった頃のことを急に思い出しました。4歳くらいの頃、急に吐血したんですよ。
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高熱を出して吐血までした時のこと
あれはうちの娘氏が4歳くらいの頃だったと思いますが、高熱を出したことがあったんですよね。まあここまでなら、小さい子どもにはよくあることです。しかしその時は、熱だけではなく、驚いたことに吐血までしてしまったのです。病院で診察してもらって、大事には至らないと言われましたけど、苦しそうで夜も眠れない娘氏を看病しながら、僕は罪悪感を覚えていました。
娘氏が辛そうだと自然と罪悪感が湧いてくる
苦しそうにしている娘氏を見ていると、自然と罪悪感が湧いてくるのがわかるんですよね。
ぼくが何か悪いものを食べさせたのだろうか……。外出したあの時、季節の変わり目にもかかわらず、薄着すぎたのではないか……。薬を飲んでも一向に症状が改善しないのは、医者に見せた時にぼくの説明が足りなかったのではないか……。もう4日目なのに熱が下がらないのは、ぼくの努力が足りないからではないか……。どうして……。なぜ……。
というような思考が、暗い部屋で、娘氏の背中をさすりながら、次から次に湧いてくるんです。
もちろん、ぼく一人に全ての原因があるなんてことはありえないって、頭じゃわかっているんですけどね。でも、つい自分のせいにしてしまうんですよ。ええ、根っからのネガティブ思考人間なものなので。
「母親の罪悪感」(Mommy Guilt)と「父親の罪悪感」(Daddy Guilt)
日本ではあまり聞きなれない言葉だけれども、アメリカでは、育児にまつわる罪悪感について「母親の罪悪感」(Mommy Guilt)や「父親の罪悪感」(Daddy Guilt)と呼ぶことがあるそうです。
どういう意味化というと、例えば「つい子どもを怒ってしまった」「子どもとじゅうぶんに遊んであげられなかった」「子どもの相手をしていたので、家が片づけられなかった」というような時に、「自分はダメな人間だなあ」と思ってしまうことを指すらしいです。
どうしてこういう罪悪感を覚えるかというと、
- 本人が完璧主義的な性格だから
- 世間一般に求められる役割(こうあるべき)を多く抱えすぎているから
- うまくできたことよりも、失敗に目を向けがちな人間の性質があるから
などという説明がなされることが多い。
娘氏が乳児で、夜泣きが激しかった時も、ずっと罪悪感に苛まれていました。何をやっても泣き止まずに、一晩中泣き続けていたことがあって、寝かしつけのひとつもできない自分、泣き止ませることのできない自分、同じように疲れきった配偶者様に対しても何の役に立たない自分に、ひどい罪悪感を覚えていました。
不思議なことに、罪悪感が限界を越えると、危ないことを考え出すんですよ。一度、娘氏をベランダから投げ落としてやろうとか、口にタオルを突っ込んで泣き止まそうとかね。そして、そんな危険な考えをしている自分にハッと気づきました。気づくやいなや「親としてあるまじき思考」と自分を断罪し、それがまた新たな罪悪感になっていくという、完全な負のスパイラルに陥っていたことがありました。
愛しているからこそ罪悪感を覚える、と考えたい
今でこそ大きくなって、手がかからなくなりましたけど、娘氏が小さいころには、こんな感じで日々罪悪感にさいなまれつづけていました。吐血したときも、苦しそうな娘氏の看病をしながらも、ぼく自身はドヨーンと落ち込んでいたのをよく覚えています。
少しも前向きになれず、次々に頭に浮かんでくる危ないことを振り払うかのように、「娘氏を愛しているからこそ罪悪感を覚えるのだ」と、自分で無理やりに思い込もうとしていました😅
愛しているからこそ、うまくやりたい。それができないから辛くなる。
でも、うまくできないことだってありますよね。人間だもの。
あの頃、罪悪感にまみれながら子育てをしたことは、この先も決して忘れないでしょう。できることならば、あの頃の自分に教えてあげたいものです。娘氏は元気に大きく育ったよ。だから罪悪感を覚えなくても大丈夫だよ、って。