おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村です。
いつもおなじみの廃線跡探索ブログ(そうなの?)ですが、今回は1960年代に消えたと思われる神戸港の「全購連専用測線」(?)の跡地だと思われる場所を探索しました。(推測だらけでおぼつかない)
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神戸港の「全購連専用測線」(?)
神戸港の「全購連専用測線」ってなんだ!?と思いますが、これは下記のYouTube動画のタイトルに書いてあったものです。どうもこの動画で掲載されている写真は、昭和36年神戸市兵庫区東出町で撮られたもののようです(裏は取れていませんけど💦)。
この動画ではありませんが、いろいろ探しているとTwitterで「蒸気機関車「SL」が煙を上げて走っていた昭和39年の神戸港臨海線(兵庫区東出町)」とキャプションの書かれた、似たような写真もありました。どうも東出町に単線の線路があったというのは、それなりの信ぴょう性があるんじゃないかと思います。
国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」で、昭和39年(1964年)5月9日に、このあたりを撮影した写真を見つけました。それによると、国鉄湊川駅(現ハーバーランド)から東出町方面にたしかに線路のようなものが伸びているのがわかります。
現在の地図に、赤線の線路だと思われるものをプロットします。確かに海に向かう道がありますよね。
現在の地図を見ると、海に向かっての突き当りのところに「全農物流㈱西日本支社」と書いています。「全農」とはJAグループのいち組織ですが、その全農の物流子会社のようです。全国各地で生産される農畜産物を消費地に届ける物流を担っているのだとか。ところでこの「全農」の前身組織が「全国購買農業協同組合連合会」すなわち「全購連」です。というわけで、さきのYouTube動画に書いてあった「全購連専用側線」と繋がりましたね。
ちゃんとした文献はあたっていませんが、現ハーバーランドから東出町の海に向かってあったと思しき線路は、全購連(現全農)と何らかの関係がある線路なのかもしれません。ちなみに「側線」というのは、鉄道線路のうち、列車の運転に常用する本線に対し、操車用・引き込み用などの線路のことを指すようです。
現「ハーバーランド中央」交差点から東川崎公園・東出町公園まで歩く
というわけで、「全購連専用側線」の廃線跡と思われるところを探索しました。まずは現「ハーバーランド中央」交差点です。ここは旧国鉄湊川駅のど真ん中にあたる場所ですね。
ここから東出町方面を望みます。そういわれると、奥の緩やかなカーブが廃線跡を想像させますね。(もう30年近く神戸に住んでいるのに、言われて初めて気づく)
湊小学校前の交差点にある防潮ゲートです。ここから左奥手が川重神戸造船所の正門になります。線路はここをまっすぐ伸びていたと思われます。
余談ですが、横溝正史生誕地のモニュメントがありました。おそらくここは昔の線路上だと思われます。
東川崎公園からハーバーランド方面を望みます。ここも線路上じゃないかな、多分。
同じ場所から東出町方面を望みます。
そのまましばらく東出町方面へ行くと、バラックの裏手に廃線跡らしき場所がありました。
バラックの正面側はこんな感じです。人気はないですが、最近まで誰かが住んでいたような感じもします。
昔の鉄橋跡でしょうか。
川重神戸造船所の正門近くから線路跡と思われる場所を望みます。右手に錆びた柵が見えますが、これは当時の遺構でしょうかね。わかりませんけどね。
東出町の全農物流西日本支社に向かって歩く
さてこのあたりから海へむかう方面が東出町です。YouTube動画やTwitterでの情報が正しければ、SL写真が撮られたのはここから海手のほうだと思われます。
確かにこのあたりは今でも住宅地なんですよね。ここで1964年の地図を見てみると、やはり当時も住宅地っぽい雰囲気があります。線路が住宅地を突っきっているようにも見えますよね。だとすると、撮影されたのはこのあたりなのかもしれません。
片側二車線の広い市道(湊町線)を超えると、とたんに工業地帯になります。不自然なシケインがありますね。
ここにも先程見かけた柵がありました。
まっすぐ進むと突き当りに全農物流の建物が見えます。本来の線路は、この左側をまっすぐ伸びていたんじゃないかなあ。
左側は川重の工場、そして右側が全農物流です。バリケードや警告などは何もなかったので、ここはたぶん企業の敷地内ではなく、公道だと思います。謎の高低差もあります。
そして行き着いた先がここでした。正面に見える目隠しか防音シートのようなものは、川重の浮きドックのようです。潜水艦でも作っているんですかね。