おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
今日は中小企業診断士2次試験の日のようです。僕はちょうど10年前(2008年度)の試験で合格をして、翌年に登録をしました。あれから10年も経ってしまいました。このブログでは一度も診断士試験のことを語ったことはないのですが、10年ということもあり、ちょっと思っていることをエモく書いてみました。
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合格から10年。日常の仕事においては自分が診断士であることはほとんど意識しない
正直に言って、日常の仕事において、自分が診断士であることを意識することはほとんどありません。協会にも入っていないですし、診断士仲間と連絡を取り合うなどということもありません。自社のホームページにも、資格を持っているということは略歴のところに1行しか書いていません。名刺には資格保持者であるということを書いていますが、それを書いているからといって、誰かに「へぇ~!診断士なんですか!」などと言われることも皆無です?
今年は資格更新の年ということもあり、これまでさぼっていた理論政策更新研修をまとめて受けたりしたので、診断士であることを否が応でも意識させられた年ではありましたが、(こと理論政策更新研修に限って言うと)「面倒くさいなあ」という気持ちが先立っていて、診断士としての自覚やプライド、愛着といったものは皆無といってよいです。
一生懸命勉強したはずなんですけどね?
承認欲求を満たすために勉強をしていた
今振り返って考えると、診断士の勉強をしていたのは、何のスキルも知識もない情けない自分でも、資格を取れば周囲から承認してもらえるんじゃないかという理由で勉強をしていたように思います。そういう意味では、「資格」が得られさえすれば、診断士でなくてもよかったのでしょう。資格はなんでもよかったけれども、弁護士や税理士になるというほどの覚悟もないので、レベル感がそこそこの診断士を打算的に選んだのではないか、という気がします。
勉強を通じて自分の知識や力量を高めることに目的があるというわけではないので、勉強をしているときの僕は、いつも他人のことばかりが気になっていました。当時、同じ受験校に通っていた人や、ブログをやっている受験生を見て「自分のほうが優秀なのに、なぜあいつが合格するのか」みたいな屈折した思いをもっていましたから? 当時の僕は他人を物差しにして、自分で自分を値踏みしていたというか……。だから初めて受験をした年は、2次試験で不合格になったのですが、「自分はあいつに勝てなかった」「落ちこぼれてしまった」と、かなり自己嫌悪をした思い出があります。
じゃあ合格したら承認欲求が満たされたのか?
2度目の受験で合格をしたのですが、だからといって承認欲求が満たされたような気はしませんでした。合格したときに感じたことは「えっ?なんで合格したの?」という気持ちでした。その年の受験後は「今年も落ちただろうな……」という印象だったからです。「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」という松浦静山の言葉がありますが(野村監督が広めたので有名ですが)、そんな気持ちでした。あっ、もちろん、受験に合格することイコール勝ち、だとは思っていませんよ。
だから合格しても何か釈然としない気持ちが残り続けました。合格はしたけれども、自分はまだまだだと強く実感していました。僕がどうにも診断士に思い入れがないのは、こういったことが理由じゃないかなと思います。そりゃもちろん、合格してうれしかったのは多少はありますが、自分のこじれた思考と自分の不十分さを眼前に突き付けられたので、胸を張って誇れるようなものではないと自分の中に刻まれたのではないかと思います。
かといって、勉強していたことが全てムダだったとはいわない
そんなわけで、合格はしたものの、充実感も満足感もなく、期待していた承認欲求も満たされなかった僕でした。もちろん、勉強したことがムダだったとは言いません。今の仕事に活きていることはたくさんあります。10年たって振り返ってみて、一番よかったのは、不合格になって自分に徹底的に向き合うことで、自分がいびつでこじれた思考をしているということに気が付いたことではないかと思います?
当時はこのように自己肯定感の低い人間でした。今でも自己肯定感が高いとまでは言いませんが、資格があろうがなかろうが、仕事で成果を出そうが出すまいが、何があっても自分には価値があると根拠なく思えるようになっていて、おかげさまで図太くなりました。しかしこんな思考ができるようになったのも、あの時に自分のゆがみに向き合えたからではないかとも思っています。
「結果を出すことが全て」と意気込む、あの時の僕のような受験生もいることでしょう。でも、結果が出ようと出まいと、そこから得られるものはなんだってあります。どんな経験でも自分の成長に役立たないものはない。そんなことを思う10年後の日曜日なのでした。