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「結果が全て」という考え方が嫌いで仕方がない

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です

週末のエモブロです。突然ですが、ぼくは「結果が全て」という考え方が大嫌いです。今日は「結果が全て」というこの考え方を全否定してみたいと思います☺️

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昔からある「結果が全て」という考え方

日本の戦国武将である浅倉宗滴は「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」と述べたことが後世に伝わっています。武士がいくら犬や畜生のように卑しく見られようと、最終的な目的は「勝つ」ことであり、他の要素はそのための手段に過ぎないという考えと言われています。この表現は、戦国時代の武士の実利主義的な価値観を象徴するものとして語られますが、現代の「結果がすべて」という考え方に通じる要素がありますよね。

こうした考え方は日本独特のものではありません。1950年代にアメリカでは「勝つことが全てではないが、唯一無二である」(Winning isn’t everything; it's the only thing)とのフレーズが大流行したそうです。これを言ったのは、米カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)アメリカンフットボールのコーチ、ヘンリー・ラッセル・サンダースでした。

このように「結果が全て」というのは、1950年代のアメリカフットボール界や、日本の戦国時代の武将の言葉にも見られるものです。時代や場所によらず人間に普遍的な考えであり、社会全体で自然と共有される概念と言えるでしょう。

「結果が全て」という考え方に通じる「成果主義」と「結果主義」

「結果が全て」という考え方に通じるものとして「成果主義」があります。成果主義とは、従業員の業績や成果に基づいて評価し、その評価結果に応じて給与や人事を決定する仕組みのことですね。年齢や勤続年数ではなく、具体的な成果を重視する点が特徴です。

また「結果主義」というものもあります。成果主義に似ていますが、こちらは物事の評価や判断を行う際に、過程や手段よりも最終的な結果を重視する考え方です。特にビジネスやスポーツの分野で、目標達成や成果を最優先とする姿勢を指します。

どちらも、現代に生きる社会人にわたしたちにはおなじみの考えだと思いますね。そして一般的には、結果で評価することは「その人を正当に評価すること」と認知される場合が多いのではないかと思います。ただ、結果で評価をすることは、短期的視点に偏った評価になったり、環境や運の影響を無視してしまいがちになったり、結果を求めるあまりに法やルールを侵しがちになるというデメリットがあるのも言うまでもありませんよね。

人はなぜ「結果が全て」という考え方をしてしまうのか

メリット・デメリットある「結果が全て」という考え方なのですが、なぜ人はこのような考え方をしてしまうのでしょうか?

結果は最も分かりやすい評価基準だから

ぼくが考える最も大きな理由は「結果は最も分かりやすい評価基準だから」ではないかと思います。成果や結果というのは、数値や事実として客観的に示されることがほとんどです。したがって、評価が簡単になります。例えば、 売上目標を達成したかどうかや、試験の合否などは明確で議論の余地がほとんどありませんよね。

反対に、 努力やプロセスは主観的で見えにくいため、公平に評価するのが困難です。そのため、測定可能な結果に頼りがちになります。例えば 「頑張ったけれど結果が伴わなかった」場合、努力をどう評価するかは議論を呼びやすいですよね。

ぼくは「結果至上主義アレルギー持ち」なので偏見を交えて言ってしまいますが、「結果が全て」という考え方は、楽な評価の方法に逃げてしまっているんだと思います。売上や試験の合否のように、結果は客観的な指標として示されるため、評価の基準を簡単に設定できます。これを重視すると、評価者は、被評価者の詳細な背景や努力を理解する必要がなくなります。つまり結果のみを評価する方が「コスパがよい」ため、現実的に選ばれやすいのだろうと思います。

「結果が全て」と言い切ることは、自分の責任の軽くするから

また「結果が全て」という考えは、「数字や事実」に裏付けられるため、評価者自身が批判を受けにくいという安心感があります。「この評価は結果に基づいているので公平です」と言いやすい状況を作り出します。

反対に、努力やプロセスを深く掘り下げて評価することには、評価者自身の知識や理解力が求められます。そして、目に見えづらい抽象的な「努力」や「プロセス」を評価する方法を、周囲に納得させるという責任が生じます。この責任は結構重いものだというのは、経営者や管理職として、部下をもったことがある人だと直感的に理解できるのではないでしょうか。

そして「結果が全て」という言葉は、その重い責任を軽くしてくれる魔法の言葉なのだろうと思います。

自分の成功を正当化し、失敗を切り捨てるために便利だから

そしてぼくが思う最後の理由です。「結果が全て」という言葉は、往々にして成功者が語りがちです。成功者は自分が達成した成果を他者に認めてもらいたいという欲求があります。「結果が全て」と言うことで、自分の努力や成功をより目立たせようとしているのだろうと思います。

また「結果が全て」という主張は、自分が結果を出した理由や背景を強調することで、成功の価値を最大化しようとする試みだとも言えます。反対に、自分の成功は単なる運や偶然ではなく、正当なものだという主張もできます。

つまり「結果が全て」という言葉は、成功者による誇示行為なのです。

もちろん、成功しなかった人も「結果が全てだから、自分は至らないのだ」と反省するときにも使いますが、それは「結果が全て」という厳しい基準を自分に適用することで、「結果が出せなかったけれども自らはプロフェッショナルなのだ」という姿を外部に見せようとする意図が含まれていると思います。(若い頃のぼくは、完全にこれでした)

結果と努力は相互補完的なもの

以上のように「結果が全て」という考え方を全否定してきました。でも、そういうぼくも昔は「結果が全て」だと思っていたんですよ。

今思うのは、結果だけが偉大なのではなく、適切なプロセスや環境、そして運が揃うことで初めて結果が得られる、ということです。成功を追求するには、まずプロセスを丁寧に設計し、必要な環境を整備することが不可欠です。その上で、自分のすべきことをやり切ることが重要です。しかし、どれだけ準備を尽くしても、結果には偶然や外部要因が大きく影響します。だからこそ、「人事を尽くして天命を待つ」という姿勢が最も正当な考え方だと思っています。

このスタンスは、努力と謙虚さを両立させるだけではなく、成果への過度な執着を避けることで、自分自身や周囲に(法やモラルを侵さない)健全な影響を与えると思っています。

でも、結果はどうでもいいなんてことは思っていないですよ。これも個人的に不満な点ですが、プロセスや環境、努力、運も重要だというと、「今村は結果を軽視している」と二者択一的に捉えられがちです。でもそんなことはなく、結果も努力も相互補完的なものであり、どちらも重要であることは疑いありません。二者択一的に捉える考え方は、短絡的で近視眼的、そして物事の複雑性をありのままに捉えられない軽々な態度です。

ところで、インドの叙事詩『マハーバーラタ』の一部である『バガヴァッド・ギーター』には「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。」という言葉があります(『バガヴァッド・ギーター』岩波文庫 39頁)。

結果が全てではないという考えもまた、紀元前から続く人間の普遍的な考え方の一つなのですよね☺️

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