おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
先日、娘氏の中学のオープンスクールに行ったら、なぜか(ぼくが)プリントに落書きしていたんですよね。先生の話を聞いてたら、体が勝手に動いたんですよ。今日はそんな、35年前のぼくが、教室で目を覚ました話です。
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配偶者様に似て明るくて、まじめで、しっかり者の娘氏
この春、娘氏が中学生になりました。親のぼくが言うのもアレなんですが、明るくて、まじめで、しっかり者です。たとえば、どんなに眠そうな朝でも「宿題やってない」と慌てることはありません。机の上には、前日のうちに済ませたノートとワークがきちんと並んでいて「すごいなあ」と感心していたら、娘氏は「だって、あとで困るの自分だし」と、さらりと言う始末。完全に配偶者様の血筋です。本当にありがとうございます。まあ、ぼく自身の中学時代はというと、宿題は「とりあえず出すか、出さないか」であって、「やるか、やらないか」の話ではありませんでしたが。
体に染み付いている中学校の雰囲気
そんな娘氏の中学校で、オープンスクールが開催されました。授業見学と、保護者向けの部活動説明会がセットになっています。教室に入って、配られたプリントと黒板と教卓の先生を見た瞬間、私は「あ、これ授業だ」と反射的に感じました。
先生が「活動方針についてですが……」と話し始めたその瞬間、ぼくはなぜかプリントに落書きしたくなりました。気がついたらプリントに、愛犬きいちゃんのイラストを書いていましたよ。卒業して35年も経ったのに、私の中にいた中学生が、急にむくりと目を覚ましたんですかね。教室の空気というのは本当に恐ろしいですね……。
家に帰ってからその話を娘氏にすると、「わかる。私もプリントに描きたくなるときあるよ。でも、先生に見られたらまずいから我慢してる」と言っていました。おお、そんなところにも血が……と思う反面、描くか我慢するかの違いが、そのまま彼女とぼくの人間の器の差なのだろうと、しみじみ感じました。
人の「核」が、密かに形を取り始めている
自分の中学時代のことで一番覚えているのは、初恋のことです。中学1年の春、帰国子女のクラスメイトに一目惚れしました。そんな彼女と話すきっかけを作りたくて英語を勉強し始めたんですが、振り返ってみれば、それがそのまま自分の将来の進路にまでつながるんですよね。あの時、英語を勉強していなければ外大に行くことはなく、外大にいかなければ神戸に行くことはなく、神戸にいかなければ配偶者様に出会うことはなく。配偶者様に出会うことがなければ、娘氏に出会うこともなかったわけですよ。恋は実りませんでしたけど、自分の人生が走り始めたきっかけでした。
娘氏は卓球部に入部しました。部活動説明会のあとに部活動見学もあったのですが。ラケットを持って走っていく後ろ姿を見ながら、ぼくは教室で落書きしたプリントのことを思い出していました。娘氏の中にも、まだ誰にも話していないような小さな衝動や、憧れや、ときめきが、少しずつ芽を出しているのかもしれません。
中学生というのは、不思議な時期です。なにも決まっていない無邪気な子どものように見えて、その人の「核」になるようなものが、密かに形を取り始めている時期です。大人から見れば何でもない一瞬でも、本人にとっては一生ものだったりしますからね。
娘氏の中にもきっと芽を出しかけているであろう衝動やときめきを、うざがられない程度の距離感で、これからもそっと見守っていけたらと思っています。