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ブログ 仕事・家事・育児の両立

「いい子でなければ価値がない、と思い込んで」

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

先日、NHKハートネットTVのホームぺージで「いい子でなければ価値がない、と思い込んで」というお悩み投稿のページを見つけました。「えっ?いつ自分はこんな悩みを投稿したんだっけ?」と錯覚するほど、ドンピシャで子供時代の僕のことが書かれていてビックリしました?

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NHKハートネットTVのホームぺージで「いい子でなければ価値がない、と思い込んで」

ホームページに掲載されていたお悩みのなかで、印象的な一文を引用したいと思います。

幼少の頃から内向的で、いわゆる「いい子」になろうとしていたのだと思います。自己肯定感が低く、人の要求に応えたり、いい成績をとったりすることでそれを満たしていました。ですが、人の顔色を窺ったり、追従ばかりしているそんな自分が大嫌いでした。

これ、150%僕のことですよ? 子供の頃の僕は「いい子じゃなければ死んじゃう病」にかかっていたので、学校でも家庭でも、とにかく「いい子」でいることを自分に押し付けていたんですが、自分で勝手に人の顔いろを伺っておきながら、そんな自分が大嫌いだったんですよね。

「いい子じゃなければ死んじゃう病」の原因っていくつか思い当たるフシはあるのですが、やはり両親との関係を抜きには語れないと思います。

「自分がいい子じゃないから両親が不仲なんだ」

僕の両親は仲が悪く、しょっちゅう激しい夫婦喧嘩をしていました。ここに書くことも憚られるような暴言や、暴力も何度も目の当たりにして育ちました。お互いに言い分はあるようで、常に僕はお互いから愚痴を聴かされる立場であり、どちらか片方の親と仲良くしていると「裏切者」と呼ばれることもありました。ちなみに「子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう」ことは、厚労省が定めた心理的虐待の定義ですので、その点では僕は被虐待児だったのでしょう。(もちろん身体的虐待やネグレクトを受けたことも何度もありますが)

その時、僕が思っていたのは「自分がいい子じゃないから両親が不仲なんだ」ということだったんですよ。今自分でこうして文字に書いていても「けなげだなあ」と、自分のことながらかわいそうになります?両親が不仲だということは自分のコントロール外のことなのですが、自分の責任として追い込むことで、「努力でコントロールできるはずだ」と思い込もうとしていたのかもしれません。

でも、どれだけ「いい子」であろうとして、両親が仲の良い「普通の家庭」になることはありません。そりゃそうですよね。冷静に考えれば二人の問題なのですから、僕がいい子かどうかは関係ないですからね。

「条件」で自分を縛ってはならない

今これを書いていて、自分で「これはヤバいなあ」と思うのは、この時の僕は「条件」で自分を縛っていたということです。この時の僕は「両親が仲がよくなれば、自分はいい子」という条件で自分を評価していたことと同じです。(「自分がいい子じゃないから両親が不仲なんだ」の対偶を取ると「両親が仲がよくなれば、自分はいい子」)

このように「〇〇であれば、自分はいい子」という風に、条件つきで自分を肯定しているわけですよ。条件つきで自分を肯定することは、自己肯定感を不安定化させることと大いに関係します。〇〇が実現できればいいですけど、〇〇が実現できなかった時には「自分はいい子」とは認められないわけですからね。「〇〇を実現すればいいだけの話だろ」と思われるかもしれませんが、達成すればするほど自分に対するハードルは上がっていきます。いずれ容易に達成できない「条件」にがんじがらめにされて、自己肯定感は地に堕ちます。

これは学校の勉強をイメージすればわかりやすいかもしれません。小学校1年生のレベルの足し算・引き算は、多くの生徒がクリアできるハードルですが、学年が上がるごとに科目も増え、科目ごとの難易度もあがり、テストの点を取ることが困難になりますよね。「テストの点がよければ自分はいい子」のように条件つきで自分を評価していたら、学年が上がるにしたがって、自己肯定感が下がりやすくわけです。

「いい子」だろうが「いい子」でなかろうが、自分には価値がある

話を僕自身のことに戻します。詳しいことは割愛しますが、僕は子どもが生まれて間もなく、仕事と家事、育児の両立をしているときに、生きることに行き詰ってしまいました。抱えるものが多くなりすぎて「条件」がクリアできなくなってしまったのです。僕の破綻でした。

そこからいろいろ考え、「〇〇であれば自分はいい子だ」という信念が自分を苦しめていたのだという結論に至りました。(飛躍していますが、いろいろ割愛しているからです?)。で、条件づけないこと――つまり「いい子」だろうが「いい子」でなかろうが自分には価値があると思うこと――が自分に欠けていることだと思った僕は、いろんな訓練をすることにしました。それは何か一つに取り組むことではなく、もう数え切れないほどの取り組みの組み合わせです。どれが奏功したかもわからないくらいいろいろやりました。具体的に何をしたのかは、今後じっくり書いていこうと思います。

そういうわけで、僕は40年以上生きてきて、ようやく「いい子でないけれども、自分はまあ大丈夫だ」という謎の信頼感を持てるようになってきました。ただし、くだんの両親に対しても「いろいろあったけれども育ててくれてありがとう」みたいな安っぽい感謝の気持ちは全くなく、まだ「死んでも許さない」と怒りの炎をメラメラとたぎらせている最中です? 許せないものを許すほど「いい子」でなくてもいいと、自分に許可をだしていますからね。

本来は10代で迎えるはずの反抗期を、遅まきながら今経験している、といったところでしょうかね。45歳にもなったオッサンなのにキモチワルイことですが、僕の精神年齢はいまようやくティーンエイジャーになったところなのです?

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