おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
BSプレミアムで毎朝「おしん」の再放送を見ているのですが、劇中で「山の頂上を前にして登るより諦めて降りる方が勇気がいる」という台詞がありました。僕には冬山遭難体験があって、この言葉の重みがとてもよくわかるのです。
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唐突ですが「おしん」はすごい
ご存知の通り「おしん」は、1983年のNHK連続テレビ小説です。平均視聴率は52.6%、最高視聴率62.9%というモンスター級のドラマです。ちなみにこの記録、テレビドラマの最高視聴率記録であり、今の今まで破られていません。「おしん」の放送当時に僕は9歳だったので、この放送のことは記憶にはありますが、ストーリーはほとんど覚えていません。いま(オッサンになって)改めてこのドラマを見ると、目が離せず、脚本と俳優が醸し出す強い吸引力でテレビにくぎ付けになっています。
そんな「おしん」ですが、第106回の放送で「山の頂上を前にして登るより諦めて降りる方が勇気がいる!」と、源右衛門(源じい)が発言しました。「時流に乗っているから」と、経営上のリスクや従業員満足、自分達のゴールがどこにあるのかを深く考えずに事業の拡大拡張路線に走る竜三(おしんの夫)を諫める場面での台詞でした。
視界不良の冬山で方向を見失う
この源じいのセリフに僕は非常に大きな心当たりがあります。5年ほど前ですが、鈴鹿山脈の最北に位置する霊仙山に冬山登山をしたのですが、その時にちょっと遭難しかけたことがありました。霊仙山は遭難による死者も出る山です。冬山って本当に怖いんですよね。僕が登った時も8合目あたりから吹雪で視界不良になり、いつの間にか登山ルートを踏み外していました(この時撮った写真がこれです)。
僕はこの時、友人と一緒に登山したのですが、二人とも「これはヤバい」と不安になります。「安全第一だから」と登頂をあきらめようかと話しながら、なんとかGPSを頼りに元のルートに戻ろうとしていたその瞬間、それまでは吹雪でほとんど視界がきかなかったのに、急速に付近が晴れだして、山頂が目視できたのです。その時僕は
と友人に話すと、友人は
と僕を叱りつけたのでした。
その時ようやく僕は「ハッ」っとしました。さっきまで自分たちが登山道を踏み外すようなことをしており、登頂を断念しようと思っていたのに(身の安全を優先していたのに)、ほんの一瞬の気候の変化で、安全第一の考えを捨て去っていたのですね。一瞬視界が晴れたので山頂を目指そうとするとは、これはまぎれもない僕の判断ミスです。急に晴れた天候は、急に悪化することも当然ありえます。その危険性を一瞬のうちに捨て去り、「頂上」という短絡的なゴールに囚われた僕でした。
友人の叱責で目を覚ました僕は登頂をあきらめ、登山道に復帰した後、そのまま山を下りることにしました。
肝心な時に「命」という大切なものをおざなりにしてしまうという自分の危うさ
山を下りながら僕が思っていたのは、自分の見通しの甘さでした。「安全が第一」などと口では言っておきながら、いざという時に安全を二の次のするような判断をしようとしていたのですからね。「安全第一」という言葉がうわべだけしか理解できなかったのでしょうし、もっというと「安全第一」よりも「冬山に登頂した」という勲章?を手に入れて周囲に自慢したいという小市民的な欲求も正直なところあったのでしょう。
何かに取り掛かった時に、それを最後までやり遂げたいという気持ちは誰にでもあるでしょうし、時にはそういう気持ちは望ましいものだと推奨をされます。それをあきらめることや途中で投げ出すことは「逃げた」と批難されることもあります。
しかし、「登頂成功」という表面的・短絡的な成果に目を奪われ、もっと大きくて大切な「命」のために行動をするということができませんでした。源じいの言葉を借りると「山を下りる勇気」を持ち合わせていませんでした。命の危険を過小評価していましたし、根本的な問題として、命が本当に大切ものだと心底から理解をしていなかったのでしょう。命よりも大切なものはそうそうありません。頭ではわかっていたはずなのに、たった一瞬の晴れ間で、その大切なものをおざなりにしてしまうという自分の危うさに気が付き、トボトボと下山する僕でした。
大切なものを失う(失いそうになる)経験をしないと、それに気づかないという愚か者
「おしん」で「山を下りる勇気」について触れられたのは、おしんの夫である竜三が、おしんの反対を押し切って既成子供服の製造販売業を拡大しようとするシーンでした。竜三は「既成子供服の時代が来ているし、売れ行きもよいので、先行者利益獲得のために拡大をする」という方針です。山の頂上(事業の成長)を見ています。一方のおしんは、事業の拡大は(不況などの際に)リスクになること、拡大をすると従業員を酷使することになり、従業員満足度が低下することを理由に反対をします。おしんは山の頂上ではなく、ふもと(大切なものが何か)を見ています。
どちらをとるかは人によるでしょう。劇中で描かれているよう、経営陣の中でも対立することはあるでしょう。価値観の問題なので、どちらが「正しい」というのはないのかもしれません。今の僕は、くだんの冬山遭難の一件もあって、おしんの考えに共感します。当社の経営は拡大を目指していません。自分と家族の幸せのために独立したのですから、自分と家族を犠牲にしてまでビジネス的な成功を求めようとは考えていません。他人から評価や承認を受けようとも思っていません。死なない程度に継続できればそれでいいのです。
僕は、本当に大切なものを失う(失いそうになる)経験をしないと、それに気づかないという愚か者です。愚か者ですが、今はそれに気がついた今では、進んで山を下りるということが抵抗なくできるようになりました。