おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。突然ですけど僕には「尊敬する人」がいません。誰か他の人の人格や行動を価値あるものと認め称賛し、自分もそうありたいと思うような人は、昔はいたような気もするんですけど、ここ20年くらいはいないかな?これってヤバいことですかね?
スポンサーリンク
「他人を尊敬する」とはどういうことなのか?
ネットの記事だったかツイッターだったのかは忘れましたが、この間なにかで「○○さんのこと、本当に尊敬します!」というような記事だか書き込みを見たんですが、その時に思ったんですよね。「他人を尊敬する」とはどういうことなのかって。
いろいろな考え方はあるでしょうけど、尊敬の対象となる誰かの生き方・やり方をすごいと思っていることや、すごいと思った上でそれを自分のロールモデルにしたいということが「他人を尊敬する」という言葉の一般的な解釈でははないかという気がします。崇め奉るといったら大げさかもしれませんけど、その人の人格や行動を価値あるものと認め称賛し、自分もそうありたいと思う気持ちであって、その中には「○○さんのこういう面はすごいけど、反面、ああいう面はちょっといただけないな」というような是々非々の態度が存在しない状態、のような感じですかね。
これが「他人を尊敬する」ということなのであれば、僕にはもう20年くらいそういう人はいませんかね。20年前といえば、働き始めて間もないころでした。その時は、そういう人がいたような気がするんですよね。当時の上司で、人格も優れていて仕事もバリバリにできるという、僕の歴代上司の中でも稀有のスーパーマンがいて、その人を確かに先程の意味で「尊敬」していたように思います。その上司の様になりたいと思っていたので、そぶりや口ぶりを真似たりしていましたね。無条件で崇め奉っていたというっても過言ではないように思います。その上司のことは今でも好きですし、もう会わなくなって十数年経ちますけれども、また会いたいなあと思うくらいの人です。でも、今となっては手放しにその人を尊敬していた自分を、なんだかちょっと違うんだようなあという気がするんですよね。
使い古された言い方かもしれませんけど、他人は他人であり、自分とは別の人ですからね。憧れるのが悪いとは言いませんけど、自分の人格や行動を、他人と同一化していくプロセスが「尊敬」なのだとしたら、それは本当に自分にとって「よいこと」なのかと思ってしまうんですよね(「よいこと」の定義も曖昧で、うまく言語化はできないですけど)。もうちょっと別の言い方をすると、ダメな自分を見たくないから、理想を誰かに仮託して目をつぶるというのが、当時の僕の「他人を尊敬する」ではなかったかなという気が拭えないんですよね。
たぶんどこかでそういう気持ちになったのだと思いますが、20年前に「尊敬していた」上司以降、そういう誰かというのはいなくなったように思います。
部分的に許容できることも「尊敬」なのか
まあ歴代の上司の話のついでですけど、歴代の上司の中でも「こりゃダメだな。こうはなりたくないな」と思う人はたくさんいます。むしろそっちのほうが多いかもしれませんね。なにがダメなのかという具体的な説明は割愛しますが(一般的に世にいうダメ上司の要素とほぼ同じだと思ってもらえたら良いです)、とあるダメ上司の言葉の中で、一つだけ今の僕の指針になっているものがあります。
その上司は「リーダーはカリスマになってはならない」みたいなことを言ってました。いや、その上司もカリスマには程遠い人だと思うんですけど、その上司が言わんとしていたことは「個人の才覚を全面に出して仕事をしてもいずれ行き詰まる」ということだったように思います。僕は「へー、この人でもこんなこと言えるのか」と関心した覚えがあります(上から目線)。見習いたくないダメ上司でしたけど、この言葉はなぜか忘れがたくて、今の仕事をしていてもふと思い出すことがありますね。ブログとかYouTubeの動画がバズったり、どこかからかコラボの話とかがきたときには「カリスマになってはならない」という言葉がよぎって、ブレーキをかけてくれるんですよね。
で、本題に戻りますけど、このダメ上司のことを一般的な意味合いとして「尊敬している」かどうかと訊かれたら、はっきりとノーだと言えるんですよね。でも部分的に許容できることは確かにあるわけですよ。対象範囲を広げると、ひょっとしたらこういうケースも「尊敬している」と言えるのかもしれません。というか、こういう尊敬のしかたのほうが、肩に力を入れない自然な尊敬のしかたじゃないかなあという気もしますね。
「○○さん、マジでリスペクトっす!」くらいでちょうどいいのではないか
ところで、中年のおじさんである僕から見ると最近の若い子たちは「○○さん、マジでリスペクトっす!」と言いますよね。(本当に言っているかどうかは知らないですけど💦)「尊敬」という日本語・漢語を使わずに、「リスペクト」という他言語を使っているところから、本来の「尊敬」という意味よりもカジュアルな感じ、重くない感じがしますよね。もうおじさんになった僕から見ると「他人を尊敬する」というのは、このくらいのカジュアルなノリでいいんじゃないかと思います。
誰かの全人格・全行動を評価し「尊敬する」ということは、現在の自分の全人格・全行動をどこか否定することと背中合わせのような感じがあります。そんな重苦しい「尊敬」というのはゴミ箱にでも投げ捨て、他人への評価も是々非々で、部分的に受け入れられるところだけを「マジリスペクトっす!」と言って許容する範囲を広げて行くほうが、なんとなく生きやすそうじゃないですかね。
と言うわけで本日の問い「尊敬する人がいないってヤバいですか?」に対する僕の暫定的な回答は、別にヤバくないし、部分的にでも尊敬できる人なら探せばいくらかは見つかるはず。むしろ全面的に肯定するような尊敬のしかたがヤバい、ってとこですかね。