おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末のエモブロです。ついつい他人に期待をかけてしまうことってありませんか?僕はしょっちゅうあります💦でも、他人に期待をかけることって本当にいいことなんでしょうかね?
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誰かに期待をするのは当たり前のこと?
ある時、支援先の会社の社長と幹部とでディスカッションをしていた時に、幹部社員の一人が「部下に期待してしまう自分が辛い。どんなに期待したとしても期待に応えてくれるとは限らないし、期待に応えてくれなかった時に起こる絶望感や怒りに耐えられない。期待するのが間違っているのではないか」ということを話したことがありました。
それを聞いた社長が「期待をかけることの何が悪いのか?誰かに期待をするなんていうことは当たり前のことじゃないか?上司であれば部下に成長してほしいと期待するのは当たり前だ。期待することが間違っているなんてことはありえない!」と語気を強めて主張をしました。
社長に押し切られたためか、このときのディスカッションではこれ以上議論が深まることはありませんでしたが、僕はどっちの言い分もよくわかります。僕自身が他人に対して「もっとこうあってほしい」と期待するタイプですからね。
期待をかければ人が成長するというエビデンスはない
期待をかければ人が成長するというエビデンスは実はありません。そういうと心理学では有名な「ピグマリオン効果」という実験があるじゃないか、という反論があるかもしれません。この実験は、アメリカの教育心理学者ロバート・ローゼンタールの実験なのですが、「これからこの子は伸びる」という期待をかけた児童はテストの成績がよくなった、という実験です。この実験結果から、ビジネス本などではよく「上司は部下の可能性を信じて期待をかけてあげることが重要なのだ」などと述べられているのをまずまず見ます。
しかしピグマリオン効果には批判が多く、期待という要因が本当に成績向上に寄与したかどうかということが不明確だとよく言われます。「これからこの子は伸びる」という期待をかけられた生徒に対して、その生徒の担任たる教師が、集中的に介入した可能性があるためですね(期待の度合いに応じて、教師が子供を伸ばすような行動をとっている可能性があるということ)。ローゼンタール自身もこうした批判を一部受け入れており、期待をかけることがその人を伸ばすという単純な図式ではない、というのがいまのところは定説になっています。
つまり期待そのものがその人を伸ばすというよりも、「この人を伸ばさなければならない」というプレッシャーを期待する側にかけることによって、結果的にその人が伸びている、という可能性があるということですね。「その人が成長するのであればそれでいいじゃないか」と思うかもしれませんが、そこには期待をかけられた人の気持ちは考慮されていません。「期待」というものは、期待をする側の心の動きに過ぎないという考えもあります。期待される側の希望や願いとかけ離れ、期待する側の欲求を押しつけることにもなりかねません。仮にそれで成長したり仕事ができるようになっても、それが本人の希望でなければ、かえって感情的には反発を招く可能性すらあるわけですよね。
誰かに対する期待は、実は自分のための期待ではないか
僕たちがもっと意識しないといけないことは、誰かに対する期待は、実は「自分のため」の期待ではないか、ということです。「部下に成長してほしい」という気持ちは、裏を返せば「部下が成長してくれたらもっと自分が楽になるのに」という自分だけの期待かもしれません。「子どもの成績がもっと良くなってほしい」というのは、子供の将来を考えての期待ではなく、「子供の成績が低いと親として失格と思われるのではないかという気がしてバツが悪い」という自分だけの期待かもしれません。
期待をするのは人情として仕方のないことかもしれませんが、自分の期待通りに育つかどうかはわかりません。期待された本人にも意思というものがありますからね。誰かに期待をするのは自然で自由なことかもしれませんが、それを押し付けすぎることのないようにしないといけませんね。