補助金に関連する当ページの情報について
当ページの記載事項に基づいてすべてを判断せず、必ず公募要領を確認してください。当社ページの見解に従った結果、不採択となった場合も、当社は責任を負いかねます。このページの情報や見解は、予告なしに変更することがあります。

ブログ

【九州関ケ原】石垣原の戦い 東軍陣地跡・吉弘統幸墓・その他交戦地めぐり

https://imamura-net.com

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

先週、夏休みをいただいて別府に泊まりに行きました。そのついで?に、石垣原の戦いの古戦場跡めぐりを楽しみました🤗(先週土曜日の記事の続き)

スポンサーリンク

参考文献

前回の記事

【九州関ケ原】杉の井ホテル周辺は「石垣原の戦い」の大友本陣があった場所でもある

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 2年半ぶりくらいに郷里へ戻ってきました(杉の井ホテル泊)。子供の頃から何度も来ているこのあたりなんですが、杉の井ホテル周辺は「石垣原の ...

続きを見る

東軍陣地跡(実相寺山・細川軍の陣)

まずは東軍(徳川方)の陣地からみてみましょう。黒田軍本陣は加来殿山に、細川軍本陣は実相寺山にあったそうです。

ところで、地形図で両軍の陣地の場所を見るとなかなか興味深いんですよ。ほら。

実相寺山と加来殿山は、別府の扇状地のど真ん中にポッと現れたような高台です。西軍(豊臣方)の大友も朝日川の断層崖に陣取っていますし、どちらもまずは高所を抑えていることがわかりますね。

そしてこれが現代の実相寺山。ここには細川家臣の松井康之(杵築城代)が陣取りました。こんもりした山ですよね。

ちなみに松井康之という武将、信長の野望の最新作「新生」では、こんな感じのパラメーターです。

東軍陣地跡(加来殿山・黒田軍の陣)

そして東軍陣地跡(加来殿山・黒田軍の陣)です。こちらは記念碑がありますね。(実相寺山のほうにもあるのかもしれませんが、見つけられませんでした…)

黒田如水本陣跡とありますが、肝心の如水(黒田官兵衛)は、このとき戦場にはおらず、戦場に向かっている最中に戦勝報告を受けたようです。実際に戦ったのは井上之房や時枝平太夫といった家臣のようですね。(井上之房は「軍師官兵衛」では、高橋一生さんが演じてましたね)

吉弘神社(吉弘統幸墓)

大友方の主たる武将で、石垣原の戦いで戦死をした吉弘統幸墓と、吉弘統幸を祀る神社があります。

ちゃんと「吉弘神社」って書いてますね。死して神になったという意味では、軍神ですね。

こちらが案内板。戦死した場所はまた別のところと言われていますが、どこなのかはわかっていないそうです。

こちらが吉弘統幸のお墓だと言われているものです。

手水舎に大友家の家紋である杏葉が描かれています。

吉弘統幸が忠臣であり、しかも主君のために討ち死にをしたからか、近代戦争の忠魂碑や砲弾なども境内にありました。楠木正成ほどではないでしょうが、吉弘統幸もまた、近代国家や社会によって、武人の象徴として持ち上げられたのかもしれません。

ちなみに吉弘統幸の場合は、信長の野望の最新作「新生」では、こんな感じのパラメーターです。

七ツ石稲荷神社

こちらは石垣原の戦いの激戦地だったと伝えられているところです。

古戦場橋

県道218号線が境川にかかるところの橋(南立石公園の北東のあたり)に「古戦場橋」という名前の橋がありました。

このあたり、「古戦場薬局」という名称の薬局もありました。今も地名……というか、土地の呼び名にかすかに石垣原の戦いの痕跡が残されているんですね。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

最近の人気記事

1

「事業再構築補助金」は制度開始から3年目を迎えました。多くの中小企業に知られるようになった事業再構築補助金ですが、このページでは2023年の制度の全容を10分でわかるようにまとめて解説します。 「事業 ...

2

「ものづくり補助金」は制度開始から11年目を迎えました。中小企業政策で最もよく知られているといってもいい「ものづくり補助金」ですが、このページでは2023年の制度の全容を10分でわかるようにまとめて解 ...

3

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 先日、納税地の所轄税務署から「消費税課税事業者届出書の提出について」という文書がきました。個人事業主は、ある期間の課税売上高が1,00 ...

-ブログ

© 2024 Management Office Imamura Ltd.