おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
先日、沖縄に出張しました。その際に少し時間があったので、どうしても行ってみたかったところに行きました。それが浦添市にある浦添城跡です。なぜここに行ってみたかったかというと、昨年見た映画「ハクソーリッジ」の舞台だったからです。
スポンサーリンク
映画「ハクソーリッジ」とは
映画「ハクソーリッジ」とは、2016年にアメリカで公開された映画です(日本公開は2017年夏)。監督はメル・ギブソン。僕の世代だと、マッドマックスとリーサルウェポンのリッグスなんですよね。
映画は、太平洋戦争末期の沖縄を舞台にしています。信仰上の理由で武器を持たず、衛生兵として負傷兵を救い続けたデズモンド・T・ドスを描いた実話に基づくお話。映画は、2017年のアカデミー賞で、録音賞と編集賞を受賞しています。
前田高地と沖縄戦における戦闘について
1945年4月1日、沖縄本島に上陸したアメリカ軍は、南部へ侵攻。日本軍の強烈な抵抗にあいつつも、4月24日に日本軍第一線主陣地線(牧港~嘉数~西原~南上原)を突破。それを迎え撃つ第二線の主陣地戦の一つが前田高地でした。前田高地での戦闘は4月25日から5月6日まで続き、両軍ならびに付近の住民にすさまじい損害を残しました。
前田高地は琉球王朝時代に浦添城という城があった場所。急峻な崖を北面にもつ天然の要害だったようですね。1609年に島津氏の琉球侵攻の際に城は焼け落ちて、その後は廃城となったようです。
この急峻な崖をもつ天然の要害である前田高地を、アメリカ側は「ハクソーリッジ」(のこぎりのような尾根)と呼びました。アメリカ側の呼称からも、その険しさが伝わってきますね。
前田高地と沖縄戦における戦闘については、現地で浦添教育委員会が下記のようなレジメを配布していました。
浦添城跡(現、浦添大公園)の全体像について
現地にある看板で全体像が把握できます。この地図の上側(北側)から米軍が侵攻し、崖をよじ登って頂上の争奪戦を繰り広げています。戦闘末期には下側(南側)もアメリカ軍に制圧され、前田高地は孤立してしまいます。
公園の南西側に「ようどれ館」という休憩所兼公園案内所があります。入口にも「ハクソーリッジ」の映画宣伝ツールがありますね?
展望台からの眺望
「ようどれ館」の近くに展望台があり、360度見渡すことができます。下記の写真は、展望台から北方面を見たところ。写真中央部に少し緑の茂みが見えますが、これが嘉数高台公園です。日本軍第一主陣地線が置かれた場所であり、嘉数の戦いとして日米両軍が激戦を繰り広げた場所ですね。写真ではちょっと見えにくいかもしれませんが、嘉数高台公園の奥に普天間基地が見えます。
この写真の奥側(北側)から手前に向かってアメリカ軍が侵攻しました。
城の頂上部分を歩く
映画の影響か、案内板が整備されていました。現在はふさがれていますが、日本軍はこの城の頂上部分に網の目のように壕を掘り立てこもったようです。そのため、航空攻撃や艦砲射撃でも損害を受けることはなく、神出鬼没に戦ったようです。映画でも描かれていましたね。
壕はいたるところに残っています。
頂上付近にやってきました。今は整備されて広場のようになっていますが、当時は狭い場所だったようです。案内板には映画のワンシーンも使われていますね。
頂上から北側斜面を見るとこんな感じです。写真だと迫力は伝わりにくいですが、本当に切り立つ崖の上です。アメリカ軍もよくこんなところをよじ登ってきたな……という感想しかありません。(1609年の島津軍も、よくこの城を落としたな……と思いますが)
前田高地平和の碑(歩兵第32連隊第2大隊記念碑)
頂上から東側へ行き、少し下へ降りたところに前田高地平和の碑があります。これは前田高地の戦いの最中に増派された部隊(歩兵第32連隊第2大隊)の記念碑ですね(当地での戦死者すべてを祀っているわけではない)。
為朝岩(ニードルロック)
城の東側に為朝岩と呼ばれる特徴的な岩があります。為朝とは、源為朝のことですね。伊豆に流された源為朝は、伊豆を脱出して琉球へ来たという伝説があります。沖縄各地には為朝にまつわるエピソードがいくつかあるそうです(事実かどうかは知りません?)。この為朝岩も、源為朝がここから牧港という港まで矢を放ったという伝承に基づいて、大正時代に名づけられたそうです。(事実かどうかは知りません?)
前田高地の東側は墓地になっていますが、その墓地にフェンスがありました。ここから為朝岩まで行けます。
おお!これは確かに目立つ岩だ!
地元では昔から「ワカリジー」と呼ばれているようですね。看板によると、英祖王と女神職のウシキンベーとの間に生まれたイソノシー(伊祖の子)を祀った場所とされているそうです。為朝、関係ないですね?
下からのぞき込むと迫力があります。
前田高地の東側は比較的斜面が緩やかであり、このあたりで日米両軍が激しく戦闘をしました。日本軍陣地が破られたのもこのあたりです。平和の碑があった歩兵第32連隊第2大隊も、部隊救援のためのこのあたりから陣地内に突撃しているようです。
アメリカ軍視点で前田高地を眺める
前田高地を北側へ下り、今度はアメリカ軍視点で前田高地を眺めてみました。下記の写真は、為朝岩をそのまま北側におりた、墓地のあたりの写真です。墓地の並びからも、斜面の急であることがわかると思います。
浦添大公園の北側駐車場から高地を眺めます。これはもう完全に城壁ですね。アメリカ軍もよくこんなところをよじ登ろうとしたものです。ちなみに(ここではありませんが)、アメリカ軍は縄梯子をかけ、実際によじ登っています。映画「ハクソーリッジ」でも描かれていましたね。
前田高地(浦添城跡)へのアクセス
- 浦添市役所から徒歩15分
- 沖縄自動車道西原インターから5分