おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
週末の(久しぶりの)エモブロです。ぼくは知らないことを知らないと言えない小者です。でもそんな自分が失敗しないはずもなく……
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知ったかぶりをして仕事を失ってしまう
中小企業診断士の資格を取ってコンサルタントとして仕事を始めた頃、僕は「何でも知っていなければクライアントの信頼を得られない」と誤解していました。今では、知ったかぶりをする意味がなく、知らないことは正直に言わないと後々問題になることを身を持って理解していますが、当時はわかっていませんでした。
ある日、大手製造業のクライアントとの打ち合わせで、技術的な質問を受けました。その分野について詳しくなかった僕は、正確な答えを持ち合わせていませんでした。でも「わからないとは言えない」という思いから、虚勢を張って曖昧な答えをしてしまいました。その場は何とか切り抜けましたが、後日そのクライアントから「あなたの説明は間違っていましたよね?」と指摘され、仕事を打ち切られてしまいました。
根底にある「管理やコントロールをしたい」という気持ち
この経験を振り返ると、心の中で大きな不安が渦巻いていたのだと思います。大手企業の技術者は優秀な人ばかりですから、「この人たちに舐められたくない」という思いが僕の不安を一層強くしていました。質問に答えられなくて「無能だ」と思われるのが怖かったんです。(ちなみに「無能だと思われたくない」というのは僕の心の急所で、様々な場面で自分自身を苦しめることが多々あります)
今、思うのは「本当に分かっている人は、自分が何を知らないかを知っている」「見えていることだけでなく、その先が見えないことも心得ている」「正直で誠実な人は、自分が責任を持てないことをそのまま認められる」ということです。
当時の僕のように「知らないことを知らないと言えない人」は、自信がないために全部知っているふりをしてしまいます。こうした気持ちが生まれる背景には、その人が「管理やコントロールを重視している」という要素があるのではないかと思います。会議の場をコントロールしたい、相手を支配したいという気持ちですね。
管理したい気持ちを手放すことは「智慧」である
では、「管理やコントロールできないものはそのままにしておこう」と思えればいいのですが、そんなに簡単に管理やコントロールを手放すことはできませんよね。これを手放すことは実は「智慧」であり、体験や経験を通じてしか得られないものかもしれません。つまり、知ったかぶりをしないようになるには、知ったかぶりをしてしまう自分に気づかなければならない、という逆説的な話なんじゃないかと思います。
仕事は打ち切られてしまいましたが、僕は運良く、大手製造業の優れた技術者に、知ったかぶりをしてしまう自分に気づく機会を与えてもらった……というのは大げさに聞こえますかね?結局のところ、自分の限界を受け入れ、等身大で生きることに収斂していくのだと今は思っています。