補助金に関連する当ページの情報について
当ページの記載事項に基づいてすべてを判断せず、必ず公募要領を確認してください。当社ページの見解に従った結果、不採択となった場合も、当社は責任を負いかねます。このページの情報や見解は、予告なしに変更することがあります。

ブログ

【当社のご近所紹介】深江生活文化資料館に行ってきた

https://imamura-net.com

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

当社の事務所を移転してはや2ヶ月。ずっと気になっていたのですが、当社の新事務所の近所に「深江生活文化資料館」というのがあります。神戸市東灘区の深江における生活の歴史を伝えてくれる博物館です。「街かど博物館」ではありますが、かなり見ごたえのある内容でした。レポします!

スポンサーリンク

深江生活文化資料館について

公式ページに書かれている概要を引用します。

阪神電車深江駅前にある神戸深江生活文化史料館は、わたくしたちの生活の歴史の博物館です。旧本庄村(江戸時代以来の郷村の西青木村・青木村・深江村から成る)の史誌を編纂していくあいだに収集された生活文化史の資料を保存し展示するとともに、地域の歴史研究やその成果の普及のため、昭和56年(1981)に深江財産区によって設立されました。
設立のきっかけとなった、深江で古くから医者を続けている深山家から、民具・史料類の寄贈をはじめ、多くの有志の方から寄贈された数千点の民具や史料-食器・玩具・衣料・年中行事用具・農具・漁具・医事資料・戦争資料・武具・文具・古文書・新聞史料・書籍など-は、東神戸の地域社会の歴史や生活文化の歩みを教えてくれる貴重な祖先の遺産です。

場所はこちらです。

深江駅徒歩1分です。大日神社という神社の境内の中にあります。駅から向かって海側に歩いていくと、大き目の案内板があるのですぐわかります。

なんと入場無料です。ただし開館しているのは、毎週土曜日、日曜日10時~17時00分だけです。

1階の展示物 深山家寄贈品

まず1階に展示されているのが、深江で古くから医者を続けている深山(みやま)家からの寄贈品。深山家の寄贈がきっかけで博物館ができたようです。なお深山さんは現在でも深江でお医者さんを続けています。江戸時代から代々続いているというのですからすごいですね。

ところで1階には、朝ドラの「べっぴんさん」で使われたレジが展示されていました。どうも朝ドラスタッフが、神戸フィルムオフィスを通じて、ここの博物館に問い合わせをしてきたようです。いま(2018年12月)、BSで「べっぴんさん」の再放送をしていますが、確かにオープニングのクレジットで「深江生活文化資料館」と書かれていたのを見ました。

階段踊り場にあった昔の深江・青木の地図

階段踊り場には、昔(昭和10年代)の深江・青木の地図がありました。どうもこの地図、昔からの住人が記憶をたどってまとめたものだそうです。

この地図を見ていてびっくりしたのが、昭和10年代の深江の地図に「音羽信子生家」と書かれていたことです(深江駅前すぐ南側)。これって弊社の事務所のあるところやん!!どうも、弊社事務所がある場所で、70年ほど前には音羽信子さんが暮らしていたようです。びっくり!

いろいろ調べてみると、音羽信子さんは幼少期に(いろいろな事情で)養子に出され、この深江で2歳ごろから宝塚に入るまで暮らしていたそうです。ただし生まれは米子だそうですので、この地図に書かれている「音羽信子生家」というのは間違いかもしれませんね。

地図を見ていて気づくことは、浜に近いあたりに「白系ロシア人」と書かれた家があることです。この博物館でも展示されていたのですが、当時の深江には「文化村」と呼ばれる郊外型高級住宅地があり、多くの外国人が住んでいたそうです。中でもロシア人は多かったようで、ロシア革命から逃れてきた人がいたのだそうです。歴史を感じますね。

2階展示物 深江の生活・戦争

2階には、深江の庶民の生活をしのばせるものや、戦争に関連する展示物があります。あっ、僕は写真をパシャパシャ撮りまくってますが、ここは撮影OKな博物館です。下記の写真にも「撮影可」の表示があります。

2階にも「べっぴんさん」で使われたアイテムがおいていました。氷式冷蔵庫だそうです。

戦争関連の展示物の数々です。戦死された方の家族に通知された「死亡通知書」は初めて見ました。ビルマ戦線で1945年7月に亡くなった方が、深江ご出身の方のようです。その時期のビルマ戦線というと「ビルマの竪琴」を思い出しますね。

焼夷弾の蓋と外側の覆いです。当然ですが、これも焼夷弾とともに落下してきたもので、空襲後に拾われたもののようです。(焼夷弾の構造について結構詳しく説明してある)

昭和後期に庶民が使っていたものなども展示されていました。このあたりは僕の世代にとっては懐かしいアイテムですね。

これも近隣の人からの寄贈品のようですが、甲冑や陸軍軍医の礼服が展示されています。陸軍軍医の礼服は、深山家からの寄贈品でしょうかね(深山氏の祖先は、軍医として日露戦争に従軍していたらしい)。またこの甲冑は、本当かどうかはわかりませんが、関が原の戦いに従軍した人が身につけていたものだそうです。

行ってみた感想

思った以上に展示物も解説もしっかりしている、本物の「博物館」でした。地元だからというのあるでしょうけど「えっ、あの病院って江戸時代からあるの!?」とか「えっ、弊社の住所に昔音羽信子が住んでたの!?」とか、意外な発見がたくさんあって軽く興奮しました?

古地図なんて最高ですね。今と同じところ、違うところがはっきりとわかって、街歩きが楽しくなります。

今までいろんなところに住んできたけど、こういう地元密着の街かど博物館のある町ってあったかな?あまりないように思います。こういう施設があるところに住めて仕事ができて、幸せだなあと思いました?

スポンサーリンク

スポンサーリンク

最近の人気記事

1

「事業再構築補助金」は制度開始から3年目を迎えました。多くの中小企業に知られるようになった事業再構築補助金ですが、このページでは2023年の制度の全容を10分でわかるようにまとめて解説します。 「事業 ...

2

「ものづくり補助金」は制度開始から11年目を迎えました。中小企業政策で最もよく知られているといってもいい「ものづくり補助金」ですが、このページでは2023年の制度の全容を10分でわかるようにまとめて解 ...

3

おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。 先日、納税地の所轄税務署から「消費税課税事業者届出書の提出について」という文書がきました。個人事業主は、ある期間の課税売上高が1,00 ...

-ブログ

© 2024 Management Office Imamura Ltd.