おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。
子どもが小学校に入学して最初の週が終わりました。新しい環境だと気分が一新されるのか、何か新しいことをやりたくなるのは人間の性分かもしれません。うちの子どもも目標を立てたのですが、あえなく三日坊主に終わってしましました?
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小学校に入学して、これまでよりも気合の入る娘
先週末のことですが、別に僕も妻も何かを言ったわけではないのですが、うちの娘は急にこんな目標を立て始めました。
「しごと」と「したく」を3つずつ書いて、どうやらこれを毎日やるつもりのようです。ちなみに「しごと1 といれそうじ」とありますが、我が家では僕が毎朝トイレ掃除をしているので、それを見て「お手伝いしたい!」と思って挙げたのだと思います?
ただ僕は、たぶんこれは挫折するだろうな……と思ってみていました(娘には当然、そんなことは言いませんが)。
案の定、3日目に挫折
初日は朝早起きしてトイレ掃除を手伝ってくれたのですよ。一生懸命に頑張っていました。僕もできるだけ口を出さず、ちゃんとトイレ掃除をする娘の姿を見たり、「頑張っているね」と声をかけたり、行動していることを承認することに徹しました。
そして2日目も(時間はかかったものの)なんとかやり遂げました。
ところがです。3日目の朝はふとんから出てきません?
「トイレ掃除、どうするの?」
と尋ねても返事はありません。
「お父ちゃんがトイレ掃除やってもいい?」
と訊くと、小さな声が「うん」と、布団の中から聞こえてきました。
3日目に挫折するだなんて、これまた絵にかいたような三日坊主です。
目標管理活動でも挫折をしていくのが当たり前
自慢話ですが(えへん!)、僕はこうなることは予想していました。というのも、僕がコンサルティングの現場で、目標管理活動を推進するときのパターンと同じだからです。
目標管理活動とは、部や課ごと(場合によっては個人ごと)に年度の目標と、それを実現するための計画を立ててもらうことです。目標の内容は、不良の低減や段取りカイゼンであったりと様々ですが、基本時には「これまでにやったことのないこと」で「1年かけて取り組む程度の難易度のもの」ですね。
目標管理の導入推進支援をしていると、どの会社のどの部署でも、野心的な目標を立ててきます。「不良ゼロ」だとか「付加価値30%アップ」だとかいう目標です。中には、経営者や上司の顔色を見て、場合によってはコンサルである僕に忖度をして、高い目標を立ててくる人もいるのかもしれません。しかし僕が見る限り、必達の意気込みのもと、まじめに立てた目標のように思えます。最初の段階ではね。
しかしこの目標・計画を追っていくと、だいたい2~3ヶ月目から脱落し始めます。うちの娘のパターンと同じでしょう?
どうして目標は未達に終わるのか
これは「慣れ」の問題でもあるのですが、目標が未達に終わる理由としては
- そもそも新しいこと・難しいことをやるので、目標達成に要する時間や難易度の見積もりが難しい(甘く見積もりがち)
- 高い目標を立てないとやる気がないと判断されてしまうことを危惧している
- 目標が達成できなくなる突発的な事象の起こる可能性が考慮されていない
の3点に集約されるのではないかと思います。
人は未経験のことや将来起こるだろう突発的な事象に対して、正しく見積もることができないんですよね。当たり前のことです。皆さんのご自宅を見てみてください。大地震は必ず来るとわかっていますが、防災グッズが完備されている家はどの程度あるでしょうか。
これは、その当事者の意識の低さをあげつらって非難しているのではありません。やろうという気持ちがあってさえもできないということはあるのです。新しいこと・難しいことをやろうとして、その難易度や所要時間を正しく見積もれないのは当然のことです。目標設定者だけではなく、目標を設定する上司や経営者であっても、そして外部のコンサルタントである僕にとっても、正しく見積もることは不可能なのです。
それでも、目標を立ててそれを実現することは、当たり前のように私たちの周りに根付いています。目標に向かって頑張らない者は怠惰な無能だと思われる局面もあります。だから無理して高い目標を設定しがちになりますし、ただでさえ目標は将来予測を含む困難なものであり、不合理さもはらんでいるものなので、高い目標を設定しても達成はほぼ見込めません。未達に終わると自尊心が傷つき、それを取り返すためにさらに高い目標を設定するという、負のスパイラルに陥ってしまいます。
小さな習慣形成に徹する。ゴールを決めない。たどり着いたところがゴールでよい。
「目標管理」をある意味で僕は否定をしているわけですが、じゃあどうすればいいかというと、小さな習慣形成に徹するしかないと思っています。
例えばうちの娘の場合でいうと、こんな5個も6個もアクションアイテムを作る必要はないのです。例えば「毎朝1分のトイレ掃除」という、どう考えてもすぐに達成できる小さな目標を置くのです。これならば挫折をしません。
でも人間というのは不思議なもので、「毎朝1分のトイレ掃除」を続けていると、次にやることが見えてくるものです。例えば「2分くらいならなんとかできそうだから、2分掃除にしてトイレの壁も拭こう」とか「風呂掃除も1分やってみよう」とか、他のものに波及します。
小さな習慣が形成され、経験が蓄積されると、自分のキャパも読めるようになりますし、その活動における予測もある程度できるようになります。だから波及していくのです。
小さな習慣が起こす波及効果というものを信用しさえすれば、高い目標設定などは不要です。ただ、どこにどういう風に波及していくかというのは、やってみないとわからないところがあります。ですので、成り行きに任せるということも必要です。最初から「トイレを完璧に掃除する」などという着地点を決めるのではなく、トイレから波及して風呂を掃除するもよし、洗面所を掃除するもよし、食事の準備にするもよし。その時になって、その人が決めればよいし、出た結果を尊重するという形にするのです。
最初から「どこに行くか」を決めない。結果的にたどり着いたところがゴールでいいじゃないか、という考え方ですね。
これ、先日引退したイチロー選手の有名な言葉と同じことです。イチロー選手は「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」とかつて話していますね。「大リーグに行って、最多安打世界記録を打ち立てる」などという目標を立てるのではなく、毎日の練習を積み重ねることだけが、成長と成功の源です。
これはイチロー選手だけのことではありません。会社の目標設定でも同じことですし、子どものお片付けでも同じことです。
目標のもつ不合理さや困難さというものは、もっと認知されても良いように思います。