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私たちはいつでも他人を許す、寛容な人間でなくてもいい

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

最近、怒りをぶつける夢をよく見ます。怒りの相手はもうずいぶん昔に縁が切れた人で、今では全く関係ない人なのですが、僕の怒りは根深いなあと、自分の執念深さと心の狭さに驚きます。しかし僕は、許せないことは容易に許さなくて構わないとも思っています。

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恨みが消えないが、恨み続けることにも罪悪感を覚える

具体的なエピソードを書くのは控えますが(特定されかねないので)、怒りの対象は昔の職場の上司です。

その上司は自分が悪者にならないよう、チクチクと遠回しに僕に嫌味は言うけれども、いざ僕を目の前にするとしらばっくれて責任逃れをしようとする人でしてね。こういうことが何年も積み重なってきて、その恨みつらみが会社を辞めた今でも夢に出てくるんですよ?

こういう憤りを感じる一方で

「でも僕にもダメな部分があったんだろう」

「僕に言葉が足りなかったのかも」

「上司も僕にいろいろ親身になってくれたこともあったじゃないか」

という気持ちも沸くのも事実で、恨み続けるのもなんだか悪いなという気持ちに自動的になっていく自分がいるのです。これを「罪悪感」といってもいいでしょう。

恨み続けるのもつらいんですよね? そして「相手を許さなければ」という考えがもたげてきて、許すことに対するプレッシャーを感じるようになるのです。でも夢にまで出てくるくらい恨みに思っているので、そう簡単には許すことができません。そして許せない自分を自己嫌悪していくという、ダメなスパイラルに陥っていくのです。

僕には僕の「影」を持つ権利がある

でも最近は僕も少し知恵をつけてきたので、こういうスパイラルに陥る時には「僕には僕の影を持つ権利がある」と心の中で唱えるようにしています。

以下、僕が勝手に思っている暴論です。「許さずに恨み続けること」は世間一般ではよしとされていなくて、「怒りを抑えて許すこと」が美徳とされているように思います。これは誰が言い出したわけでもなく、もちろん法律として決められているわけでもないけれども、社会一般通念として「怒ったり恨んだりするのはみっともない。許せることが理性ある証拠」みたいな空気があるように思います。

そういう空気を僕も感じ取っているので、僕は恨み続けることに罪悪感を覚えるのでしょう。

誤解を恐れずに、ものすごく単純化していうと、怒りや恨みのような「影」の感情は悪いものだという否定的な烙印があるように思います。否定的に扱われているので、私たちは社会において、これらの「影」の感情をどのように扱うかを教わっておらず(というか最初からないものにされている)、「影」の感情を持つ人を「許しのできない人」として遠ざけて生きています。

それが「常識」だとしても、そうして抑え込まれた「影」を無視して憎い相手を許して、自分が本当に癒されるのか?という疑問がぬぐえないんですよね。

「許す」かどうかというのはかなり個人的なものであり、社会一般通念で決められるようなものじゃないと思うんですよ。傷つきが大きく、問題が深刻であるかどうかは、その人が決めること。そして関係を修復する価値があるかを決めるのも、許せるかどうかを決めるのも、個人的なもの。許すことが目標であってはならないと思うのです。

自分が持つ「影」は醜くて汚くて臭いものかもしれないけれども、そんな「影」を抱えて生きているということは事実なのだから、見ないようにフタをせず、僕自身のタイミングで許せるときがくるまで、影を抱えて生きていく権利があるんじゃないかと思っています。

私たちはいつでも他人を許す、寛容な人間でなくてもいい

僕は上司の言動に傷つきました。その程度で傷つくなんて……というのはあるとは思いますが、傷ついたというのは事実です。そういった僕の痛みに対する真の謝罪がなければ、そんな簡単には「許し」が可能であるとは思わないし、安易に許すのは健康的ではないとも思います。

許しとは、自分を傷つける人を無条件に受け入れることではありません。

傷つける人と自分との境界を明確に設定すること。自分の「許せない」という気持ちに応えることを学ぶこと。そして逆説的ですが、許せないときは徹底して許せないという気持ちを持つことによって、ようやく心から「許す」時がくるのだと思う。

つまり許すとは「自分が影を持っていてもよい」と自分自身を許すところから始まるのだ、というのが僕の今のところの結論です。許すとは自分を許すこと。他の人を許せるかどうかは、その結果にすぎないってことでしょうかね?

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